アイドルグループ『幕末塾』メンバーとしてデビューし、その後ドラマ出演や情報番組のリポーターとして活躍。現在は「海の宝石箱や!」などの名フレーズを生み出しグルメリポートの第一人者としてお茶の間に知られる人気者になった彦摩呂。彼の「THE CHANGE」とは?【第1回/全2回】

彦摩呂 撮影/貴田茂和

 小学生の頃は、『みごろ!たべごろ!笑いごろ!』の「電線マン」のコーナーに出演された伊東四朗さんや小松政夫さんを見て、おなかがよじれるほど笑いながら、「将来はテレビの中に入ってみたい」なんて思ってました。

 中学1年生でタレント養成所に通い、3年生のときに学生服のCMに出たこともあったんですが、高校に入学してからはファミレスでバイトしたりして、芸能界とは無縁の生活を送っていました。普通の学生バイトは皿洗いとか裏方の仕事ですが、僕はホールで接客係でした。なんでか分かります? それは僕がイケメンだったからです(笑)。

 そんなある日、ファミレスのお客さんとしてプロのカメラマンが来店してきて、僕を見るなり、「お兄ちゃん、ちょっと写真を撮らせてくれへんか」と言ってきた。プロのカメラマンに写真を撮ってもらう機会など、そうそうあるものではないので、僕は二つ返事でOKしました。後日、そのカメラマンさんが「君に紹介したい人がいる」と会わせてくださったのが、モデルクラブの社長だったんです。

 開口一番、「君にぴったりの仕事がある」とノセられて、現場に行ってみると「着せ替え」の仕事でした。上下の服と靴が30種類くらい並べられていて……スーパーの紳士服売り場のモデルの仕事だったんです。

 当時、まだ痩せていた頃の僕の肩幅、袖丈、股下の全部がピッタリMサイズで、スーパーの衣料品がジャストサイズ。まさに「スーパーモデル」の仕事でした(笑)。

 その後、コンビニのローソンが、『からあげクン』という新商品を販売するにあたって、CMモデルのオーディションがあったんです。会場には100人を超える20歳前後の男性がいて、僕は1番目に受けました。「からあげは好きですか?」と聞かれ、「はい、大好きです!」と答えたところ、審査員の方が「君の満面の笑みが商品のイメージと合っていると思った」と言ってくれて、見事に合格したんです。