10歳で初めて経験したペットロス

 愛猫が虐待されて死に別れたことで、今でいう「ペットロス」という状態に陥り、思い出しては胸が締め付けられて泣いてばかりいたそうだ。

「いまでこそペットロスが深刻な社会問題として取り沙汰されるようになりましたが、当時はペットロスという言葉すら知られていませんでした。周囲の大人からは、子どもだからだと思われていたかもしれませんね。いつまでも泣くんじゃないと叱られ、涙をこらえると呼吸が苦しくなり、どうしようもない時間をただ呆然と過ごすしかなかったのです。

 ミクが亡くなった後に法事か何かで菩提寺に行く機会があったので、和尚さんにお経を上げてほしいと頼みました。ところが、“動物に上げるお経はない”と言われてしまい、大きなショックを受けました。人間にはお経があって動物にはお経がないということに納得がいかず、それなら自分で動物たちにお経を……と、子どもながらに考えるようになったのです。そして、たとえ周りの人から奇異の目で見られようと、道路で横たわる子を見つけては連れ帰り、自分なりの弔いをするようになりました」

 この出来事は横田さんの人生に大きな影響を与える。最初の「THE CHANGE」であった。愛猫ミクの悲惨な死から命の大切さを学んだことで、その後は傷ついた動物たちを保護したり、道路で亡くなっている動物を連れ帰ったり、動物たちの最期を看取ってあげるようになったという。

高校3年で再び聞いた“不思議な声”

 その後、多くの動物の命に接してきた横田さんに、経験する以前と以後で「自分がまったく変わった」と思われる体験で、印象深いものについて聞いたところ、返ってきたのは高校生の時に経験したというある出来事だった。

「仔猫が道路に倒れていたんです。車に轢かれたのでしょう。すでに死んでいるようでした。何台もの車が亡骸を避けて通り過ぎていきます。ところが、死んだ仔猫に寄り添う母猫がいたのです。仔猫は絶命していましたが、母猫は生きています。自分が車に轢かれるかもしれないのに母猫は子猫の側を離れようとはしないのです。その姿に強い感動を受けました。

 私は仔猫を道路の脇へ運び、いつものように亡くなった子を手で撫でながら、言葉をかけて弔っておりました。すると母猫が警戒しながらも近寄ってきて、仔猫を舐め、綺麗にしてあげたのです」

 幼いころ愛猫の死と向き合ったことをきっかけに、多くの動物の命を看取ることになった横田さんだったが、この時に再びあの不思議な言葉を聞く。

「人間が運転する車にはねられたのですから、私も同じ人間として、心から謝っておりました。すると仔猫を舐め終わった母猫が私を見つめて言うのです。“ありがとう”と…。周囲を見渡しても誰もおりません。目の前の母猫なのか亡くなった仔猫なのか定かではありませんが、確かにその言葉が心に聞こえたのです。当時は18歳ですから、もう子供の絵空事ではありません。ミクの時と同じように不思議な感覚で確かに心に伝わってきた言葉でした」

 当時高校3年生だった横田さんは、部活を終えてアルバイトに向かう途中だったという。少々やんちゃな高校生活を送っていたが、この日を境に改心したそうだ。悪友からの誘いを断ち、生活態度を改め、真面目に学校で授業を受けるようになった。そして、これまで以上に真剣に動物たちの心の声に耳を傾けるようになったという。その理由について尋ねるとーー

「現在の私の見た目であれば、仔猫を弔ってあげているのだろうと思われるでしょう。でも、当時の私の髪型や服装はそうではありませんでした。“きっと、あいつが轢いたのだろう、ひどいことを…”と思われても当然の格好をしていました。

 実際に不真面目な生活態度で、そこそこ悪いこともしておりました。どんなに命の大切さを語っても、そのままでは説得力がないですよね。この2度目の不思議な言葉を聞いた時に、私は心を入れ替えました」

 動物から“ありがとう”という不思議な言葉を聞いたことが横田さんにとっての「THE CHANGE」となり、現在も「動物のお坊さん」として動物の死と向き合い続けている。

横田 晴正(よこた はるまさ)
1971年生まれ。東京都出身。27歳で出家し、2001年に新潟県長岡市でペット霊園ソウルメイトを設立。2013年に東京都杉並区に東京分室を開室。ペットのお坊さんとして葬儀・火葬・供養・パラカウンセリングを行い、人のお坊さんとして曹洞宗長福寺の壇務を行なっている。『坂上どうぶつ王国』(フジテレビ)をはじめ、多くのメディアに出演。ペットロスをテーマに、人と動物との絆について講演、執筆活動を続けている。著書に『ありがとう。また逢えるよね。~ペットロス心の相談室~』がある。