日本語ラップの楽曲作成に試行錯誤

 今では当たり前となった日本語ラップだが、まだ90年代初頭は黎明期だった。より聞きやすい楽曲にするために、試行錯誤する日々。

「自分でも色々な言葉を使ってみた。でも一般の人からするとラップなのに、ダジャレに聞こえてしまうとか壁があったんです。俺はどうしてもラップ要素のあるポップスを作りたかった。そこで韻よりも日本語のアクセントにこだわってリズム感を大事にすることを目指した。

 アクセントのある言葉を選んで、グルーヴを出すってことに気づいたんですよ。そうやって曲作りをしたら、ポップになった。今だったら、Zeebraさん(ヒップホップMC・93年から活動)や、R-指定さん(Creepy NutsのMC・13年から活動)がライムを科学的に考えて楽曲を作っていますよね」

 ラップといえば、今年リリースされヒットしたCreepy Nutsの「Bling-Bang-Bang-Born」は、彼がいう「リズムを大事にした楽曲」ではないだろうか。m.c.A・Tの視点でどう感じるか尋ねてみた。

「あの曲はやっぱり音のアクセントが面白いんじゃないですか。後韻というよりも、頭にアクセントを持ってきている。たとえば『Bomb A Head!』(94年)もそうだし、サビの『Bling-Bang-Bang-Born』もそうですよね。やっぱり濁点をつけると音として面白くなるっていうのはありますね」

 邦楽の音楽シーンに、ラップが根付いたのは94年ではないかとA・Tさんは語る。

「俺はデビューが93年で、『Bomb A Head!』でブレイクしたのが94年。EAST END×YURIの『DA.YO.NE』や、スチャダラパーと小沢健二さんの『今夜はブギー・バック 』がリリースされた年。だから94年はラップにとって、エポックな年だったんじゃないかな」

 m.c.A・T自身は、ファンクに強く影響を受けている。彼らの楽曲の聴きやすさは、ラップだけにこだわっていない部分が強いからではないだろうか。

「俺のルーツはファンクなんですよね。ジェームス・ブラウン(アメリカ出身の歌手・1933年生)や、ジョージ・クリントン(アメリカ出身の歌手・1941年生)のPファンクが大好きだったんです。当時からHIPHOPも知っていたけれど、当時のヒップホップの曲作りはシック(70年代に活動したアメリカ出身のファンクバンド)のバックトラックにラップを乗せて曲を作るようなやり方だったんですよね。

 だから曲を新しく作るというワクワク感はあまりしなかったんです。しかし新しい感覚で楽曲を作っていたビースティ・ボーイズ(78年結成のアメリカ出身のラップグループ)やLL・クール・J(85年デビューのアメリカ出身のラップアーティスト)も、どんどんかっこよくなっていたんですよね。それを目指しました」