平成のJ-POPシーンに颯爽と登場し、瞬く間に世間にラップを浸透させたm.c.A・T。ハイトーンボイスから繰り出される『Bomb A Head! 』というフレーズは、令和のミュージックシーンにおいても色あせない。今年でデビュー30年目を迎えたm.c.A・Tの謎に包まれた人生の転機とは? 【第2回/全5回】

m.c.A・T 撮影/三浦龍司

 スレンダーな体型に良く似合っている鮮やかな服装は、ISSEY MIYAKE。「服も自分で選んでいて、代官山とかに買い物に行く」という。たぐいまれな音楽的才能の持ち主だが、音楽とは無縁の意外にも厳格な家庭で育った。

「俺は北海道出身で、父がNHKに勤務していた。じつはちょっと子役をやっていた時期もあったんです。子どものころから父親が番組を作るのを見ていたので、ものを作ることが好きなんですよ。

 演じるよりも、物づくりに携わりたいと考えた。そこで“ディレクターになりたい”と親に言ったら、おやじが“なにがなんでも北海道大学に入れ”って言うんですよ。本当はテレビ局のディレクターのなり方を教えてほしかったのに(笑)。国立大学しか進学が許されなかったので、北海道教育大学に進学したんです。子どもも好きだったし、教育大学だったので、その流れで教員になることが普通だと感じていた」

 m.c.A・T誕生の転機となるのは、就活の瞬間だったという。

「親との確執はすごかったです。教員採用試験でも、一番偉い面接官の先生と知り合いだった。就職がほぼ決まりかけていたのに、集団面接で“この中で誰よりもよい先生にある自信はありますか”って聞かれて、“子どもが大好きだけれど、今、頭の中の90%くらいは音楽をやりたくてしようがありません”って言っちゃったんです。

 面接が終わった後に、知り合いの先生が追いかけてきて、“どうしてそんなこと言うんだよ。言わなければ合格だったのに”って言われた。これも自分の計画通りだったんだけれど(笑)。教員にならないと知ったら、親は泣きましたね」