コンテスト荒らしで有名に。中川勝彦に「居候すればいいじゃん」と声をかけられた
教員ではなく、晴れて音楽の道に進むことになった。そこから快進撃が始まった。
「大学を卒業してからも1年間は旭川にいた。これで好きな音楽ができるって喜んでいた。友人からマルチトラックレコーダーを借りて多重録音した曲を、カセットテープに録音して売っていました。
今ではトラックを流しながらライブをするのは普通になったけれど、トラック(録音)からボーカルトラックをカットして、その音源を流しながらライブをやっている人って、他には誰もいなかったからね。そこに、ギターとシンセドラムを加えて3人でライブしていました。そのメンバーでコンテスト荒らしをしていたんですよ! ヘヴィメタルのバンドに勝ったりするのが楽しかった」
m.c.A・Tが持つ楽曲の魅力は、すぐさま音楽業界で話題となった。
「“コンテストを荒らしているやつがいる”って噂になっていたみたいで、東京からライブを見に来た人がいたんです。その中に中川勝彦君(中川翔子さんの父でミュージシャン)がいた。彼と仲良くなっちゃって、“東京に来たら、俺んちに居候すればいいんじゃない”って言われたんです。
それを真に受けて“やっぱりもう東京に行くしかない”って決意した。後で聞いたら、勝彦は日本中の面白そうなやつに“俺んちに居候すればいい”って声をかけていたらしいんですけれど(笑)」
大学卒業後、ミュージシャンを目指していた期間がプロへ繋がっていった。
「すでに楽曲が沢山あったので、10社くらいにテープを送ったら7社から“会ってみたい”という連絡があった。ちょうど時代がバンドブーム全盛期。面談すると、“面白いけれど、こういう音楽は売れないんだよね”って言われたんです。デビューを諦めていた頃に、『ハートブレイカー 弾丸より愛を込めて』(1992年制作・日本初のダンス映画)のサントラを担当することになった。
そのときのレコーディングスタジオのエンジニアさんが、エイベックスの方だった。その映画では、初期の『Bomb A Head!』を使っていた。かなり尖がったアレンジだったけれど(笑)。そのエンジニアの方が“『Bomb A Head!』を専務に聞かせていいですか”とたずねてきた。それがマックス松浦(松浦勝人、音楽プロデューサー・エイベックス会長)だったんです。そこからデビューへ繋がっていきましたね」