1986年に読売サッカークラブ(現・東京ヴェルディ1969)へ入団し、同年に新人王とMVPを獲得するなど大活躍。現役通算で4度のベストイレブンに輝いた日本を代表するFWだった武田修宏。現在もサッカーを愛する彼のTHE CHANGEとは──。【第1回/全2回】

武田修宏 撮影/柳敏彦

 小学校の頃は、本当に大変だったんです。ギャンブル好きな親父がお金を使いすぎてしまって、借金取りが自宅まで来るような家庭でした。家を支えるために、母は看護師として働いていたので、学校から帰ってきても家にはいなくて、放課後は、寝たきりのおばあちゃんの面倒を見ていました。決して恵まれているとはいえませんよね。ただ、そんな環境にいたからこそ、メンタルが鍛えられて強くなったと思っています。自分のことは自分でやるということも、自然に身につきました。

 そんな生活の中で出会ったのがサッカーでした。寂しかったり、つらかったりすると、グラウンドに一人で行って、いつもサッカーボールを蹴っていました。つまらないときはずっと壁にボールを蹴っていたので、シュートがうまくなったのはあの頃のお陰です。小学校の卒業文集には「日本代表に入りたい」「マラドーナとプレーをしたい」と書きましたね。

 その後、中学生では年代別の日本代表に選ばれ、シンガポールへの遠征も経験、そして高校は清水東へ進学しました。

 清水東は、まだ日本にサッカーのプロがない当時、一番華やかな舞台だった全国サッカー選手権で全国優勝するシーンをテレビで見ていて、この高校で絶対にプレーしたいと思ったことが志望した理由です。

 ただ、清水東は東京大学にも合格者を出すような進学校です。僕も中学生時代は勉強の成績が150人中で10番以内には入っていたのですが、清水東に入学してからは、授業についていくのが本当に大変でした。監督が「人間として成長しない限り、サッカーはうまくならない」という考え方で、サッカーだけではなく、日常生活はもちろん、勉強もしっかり頑張るように指導されていました。だから、提出物や宿題もきちんとこなさないと怒られるし、授業中に寝ていたら、すぐに呼び出されました。当たり前と言えば当たり前ですが。