コロナ禍となったことで、自分の生き方を見直したんです

 1993年には、Jリーグが開幕しました。そして、この年に僕は日本代表として、ドーハの悲劇を経験することになりました。残念な結果ではありましたが、日本代表を夢見ていた自分が、あの歴史的なピッチに立てたということは、今も誇りだと思っています。

 ワールドカップには出場することはかないませんでしたが、あのドーハのメンバーは、どの世代の日本代表にも負けない本当に強いチームだったと、今でも自信を持っているんです。

 サッカー選手を引退後は、幸せなことにテレビの仕事を順調にいただくことができました。ただ、コロナ禍となったことで、自分の生き方を見直したんです。

 それまで、静岡で暮らしていた母とはなかなか会うことができなかったのですが、食事をする機会が増えました。今まで作ることができなかった母とのゆっくりとした時間を過ごす中で、このままテレビのバラエティ番組を中心に活動を続けることが、本当に正解なのかと考えました。

 その結果、やっぱり僕はサッカーが好きだってことに気づかされたんです。もう一度、サッカーで挑戦をしたい、Jリーグの監督をやってみたいと考え、これまで大変お世話になった所属事務所を辞める決断をしました。

 同じ事務所の大先輩である和田アキ子さんに、「僕、サッカーをもう1回、真剣にやりたいんで、事務所を辞めたいと思っています」と相談しました。アッコさんからは、「しょうがないな。お前、サッカーバカだからな(笑)」と、あたたかいエールをもらいました。

 アッコさんは、人生でつらいときにいつも支えてくれていた恩人です。他にも、僕の周囲には支えてくれる方々がたくさんいます。アッコさんはもちろん、そんな皆様に、いつか必ず、監督として成長した姿を見せて、恩返しをしたいと思っています。

武田修宏 撮影/柳敏彦

武田修宏(たけだ・のぶひろ)
1967年5月10日、静岡県浜松市生まれ。静岡県立清水東高等学校卒業後の1986年に読売サッカークラブ(現・東京ヴェルディ1969)へ入団。同年に新人王とMVPを獲得するなど大活躍し、現役通算で4度のベストイレブンに輝いた日本を代表するFW。01年シーズンをもって引退し、その後は各種メディアに多数出演。また、全国でサッカー教室、サッカー普及活動を行っている。