エピック・ソニーの音楽ディレクターから電話が
広告代理店をいくつか経て、音楽レーベル「エピック・ソニー」の広告コピーを担当することになった。これが、作詞家・売野雅勇の誕生へとつながった。
「僕が書いた広告のコピーを見たエピック・ソニーの音楽ディレクターが、わざわざ電話をかけてきてくれたんです。“詞を書いてみませんか”と。正直、驚きました。その数日前に、僕はシャネルズ(後のラッツ&スター)のファースト・アルバムの発売告知の新聞広告のコピーを書くのですが、それを気に入ってくれたようでした。
オフィシャルの僕のデビュー作は、『星くずのダンス・ホール』という楽曲です(初めて作詞したのは河合夕子さんの『東京チーク・ガール』ですが、シャネルズの発売が先になりました)。いきなり作詞家でデビューすることに、全く怖さは感じませんでした。それまで何年もの間、コピーライターとして言葉の使い方の訓練を積んできましたからね。
また、『東京チーク・ガール』を書いたのが29歳。人生を考える年齢でもありました。作詞家になって新鮮な世界が広がり楽しい日々が始まったけど、10年20年と歌詞を書き続けてゆく運と才能があるのだろうか?とJASRACの会員名簿を眺めながら、一握りの有名な作家だけがヒット曲を作り続けている状況に愕然とした覚えがあります」