チェッカーズは“きっと売れるな”と直感
作曲家の芹澤廣明氏と組んで、「涙のリクエスト」や「星屑のステージ」「あの娘とスキャンダル」など、チェッカーズの大ヒット曲を量産したことも昭和歌謡史に残る活躍といえよう。実際に会って話すことはあったのだろうか?
「芹澤さんは、チェッカーズのプロデュースもしていたので頻繁に会っていたようですが、僕が彼らに会ったのは河口湖のスタジオで行われたレコーディングのときくらいじゃないかな。デビュー曲用に数曲作っていたのですが、チェッカーズを見たとき、“この子たちはきっと売れるな”と直感しました。彼らには飛び抜けて明るい雰囲気があったし、他人を笑顔にさせるようなハッピー感がありました。メンバーそれぞれが持つ個性も豊かで魅力的だと思いました。なにより、フミヤくんは歌もうまいし、言葉をそれにいちばん相応しい音色で歌ってくれるんだ。声が耳に残るのはそのせいなんだよ。
80年代には、彼らをはじめたくさんのアイドルの曲を書きましたが、本人に会うことは稀でした。実際に会ったことがある数少ないアイドルの一人、菊池桃子さんとは食事もご一緒しました。でもね、もともと人見知りする桃子さんはすごく緊張していて、一言も話さないまま食事会は終わりました(笑)。でもね、あのシャイな感じが僕にはダイヤモンドみたいに見えたね」
アイドルたちと実際に会うことが少なくとも、売野さんが書いた歌詞を通してお互いコミュニケーションを取れていたのではないだろうか。彼らの活躍を支えた楽曲たちは、アイドル自身やファンにとってもかけがえのない存在であり続けている。
(取材・文/キツカワユウコ)
うりの・まさお
1951年2月22日生、栃木県出身。上智大学を卒業後、広告代理店に入社。コピーライター、ファッション誌の編集長などを務めたのち、1981年にシャネルズ(のちのラッツ&スター)の『星くずのダンス・ホール』で作詞家として活動を開始。翌年、中森明菜の『少女A』の作詞を担当、以来チェッカーズ、河合奈保子らに歌詞を提供、現在に至るまでその歌詞が多くの人に愛されている。