名曲『大きな玉ねぎの下で』の制作秘話

 『大きな玉ねぎの下で』に出てくる玉ねぎとは、日本武道館をイメージしている。武道館コンサートに空席が出た理由を考えたところから、この歌詞は生まれた。

「武道館を“どうしたら満員になるだろうか”って考えていたら、無理だな……って途方に暮れてしまった。ファンの立場からすると、“こんなに一生懸命応援しているバンドなのに、席が空いているってことは、世間的には人気がないのか”ってテンションが下がるじゃないですか。それはいやだなって思って、座席が空いている理由を見つけよう、どんなストーリーが良いだろうって考えて書いた歌詞が『大きな玉ねぎの下で』なんです。“チケットは売れていたんだけれど、ペンフレンドが来なかったんだよ”っていうね(笑)」

 爆風スランプは、’85年12月13日、見事、日本武道館コンサートを成功させた。

「武道館コンサートは満員だったんです。それはもう本当にスタッフの方が知恵を出してくれたからだと思う。あとは『無理だ』がスマッシュヒットしたのとか、『オールナイトニッポン』のパーソナリティーをやらせていただいたのが大きかったんじゃないかな。あのころは、俺たちもまだ25歳くらいでしたからね。リスナーも高校生や大学生が中心だったんじゃないかな」

 東西線九段下駅を利用すると、駅の発着音として流れる『大きな玉ねぎの下で』。名実ともに、九段下を代表する曲となった経緯とは。

「普通は鉄道会社の方から“楽曲を使用してよいですか”って連絡が来るのだと思うんですけれど、『大きな玉ねぎの下で』はちょっと違っていて。こちらから東京メトロまで行って、直談判したんです。それがきっかけでしたね」

サンプラザ中野くん 撮影/松野葉子

 これまでも熱意をもって音楽活動を続けていた爆風スランプ。しかし、世間のイメージと音楽性の間で葛藤も生まれていた。

「自分たちの音楽性と、世間とのイメージとのギャップってすごくありますよ。っていうかありました。でもしようがないですよね。一般の人たちにそこら辺の理解を求めるのは難しいですね。なんの先入見もなしに当時の俺たちを見たら、面白いことをやっていればそれだけで“これはコミックバンドだよね”って思われても仕方がないなって。
 でも俺たちはずっとロックやフォークを聴いて育ってきた。先人たちのミュージシャンって、人前でおかしなことをやるのは当たり前なわけですよ。歌は真面目だけれど、パフォーマンスはつい面白いことをやっちゃうわけです。しかもロックという手段を使ってなにをやっても、なにを表現してもよいっていう風に、音楽好きの間では理解されていた。その枠の中で、できる限りのことをやってやろうと思っていた。そういう部分が誤解を生んだかもしれないけれど、伝わらなかったのは仕方がなかったって思いますね」