坂東好太郎の三男で、1973年に歌舞伎座『奴道成寺』の観念坊で初舞台を踏んだ歌舞伎役者の坂東彌十郎。近年はドラマ『クロサギ』(TBS)、『VIVANT』(TBS)、『VRおじさんの初恋』(NHK)などの映像作品にも出演している彼の「THE CHANGE」に迫るーー。【第2回/全2回】

坂東彌十郎 撮影/柳敏彦

 猿之助一座では、演技の他に演出の勉強をさせてもらいました。入ってすぐに、ヨーロッパ公演にも連れて行ってもらったりもしました。

 忘れられないのは、『ル・コックドール』に携わったこと。プーシキンの原作で、ニコライ・リムスキー=コルサコフという作曲家が書いたロシア・オペラを歌舞伎のアプローチで演出したんです。

 猿之助さんの演出助手として僕と市川右團次さんの2人でパリについて行ったんです。3か月ほど滞在しましたね。楽しかったけど、ほんとに大変でした(しみじみ)。楽譜が読めないから、音を聴いて、楽譜のその部分を指差しながら「ここで手を上げさせよう」という様な打ち合わせを毎晩、遅くまでしました。

 それが終わって、ホテルに帰るのは午前3時ぐらい。2人は同じ部屋だったんですが、一日交替で洗濯しましたね。で、朝9時になると、僕は現地のダンサーに歌舞伎体操を教えていたんです。だから、全然寝られなかったんです。それでも休みの日になると、コーラスやダンサーのメンバーとご飯を食べに行ったり、観光に連れて行ってもらったり。27歳ぐらいのときだったけど、いま思うとなんであんなに元気だったのかなって不思議ですよね(笑)。

 猿之助一座には15年くらいいたでしょうか。でも、自分で海外公演や演出をしたいという気持ちが芽生えてきたんです。挑戦するためにも辞めさせていただきたいと相談したんですが、もちろん、大激怒されました。だから、辞めるときはクビ同然でした。しばらくは面会謝絶みたいな感じだったんです。

 それからずいぶん時間がかかりましたが、僕が還暦のときに、パリ、ジュネーブ、マドリッドで公演を行うことができました。その報告に伺ったときは、猿翁さんはもう倒れた後で体も不自由だったんですけど、「やっとだね」っておっしゃってくれて。

 後でいろんな人から、クビ同然だった僕のことを、ずっと気に掛けてくださっていたって聞きました。それで、僕は、その一言でもうボロボロに泣いちゃったんです。

 今でも、猿翁さんのことになると涙もろくなるんです。とにかくたくさんのことを教わりました。