あるときは、“鎌倉殿”を支える13人のひとり。あるときは“聖まごころ病院”看護師の父親。またあるときは、“寅ちゃん”と対立する、家事審判所の所長……。その正体は、創立45周年を迎える劇団スーパー・エキセントリック・シアター(以下、SET)で、歌って踊ってアクションする俳優・野添義弘である。長きにわたって、劇団と映像の世界で作品を支えてきた彼のTHE CHANGEとは──。【第1回/全5回】

野添義弘 撮影/有坂政晴

 野添がSET(エスイーティー)の一員となったのは、24歳のとき。以来43年間、劇団の舞台に立ち続け、映画やドラマに欠かせないバイプレーヤーとして活躍している。しかし本人は、キャリアを振り返ってこう言う。

「40歳くらいまではずっとくすぶってました。毎日バイトして、公演があるときだけ拝み倒して休ませてもらい、終わったらまたバイト。映像に出ても、役名が無いような仕事ばかりで、不安しかなかったですよね」

 それでも、やめなかったのはなぜなのか?

「ずっと“ここでやめたら、何のために大阪から東京に出てきたんだ?”という思いがありました。特に30歳を迎えたころは“20代という、人生で大事な時期のほとんどを芝居に費やしてきたのに、今やめたら空白の20代になってしまう”と思ってしまって、あと少し、あと少し……でここまでやってきたような気がします」

 何のために……。

 そう、野添が上京したのは、「芝居をやりたい」という、ただひとつの思いに突き動かされてのことだった。

 大阪の高校を卒業し、短大の入学までの数週間だけアルバイトをしようと見つけたのは、スーツアクターという一風変わった仕事だった。

「要するに、着ぐるみを着てデパートの屋上や遊園地で『仮面ライダー』などのヒーローショーをするんですね。やるからにはアクションができないといけないと言われて、数週間のレッスンを受けることになりました。仮面ライダーのポーズとか、ショッカーとしてのやられ方とか(笑)。 数週間だけバイトするつもりが、なんだかおかしなことになったなぁ、と思いましたが、やり始めたらおもしろくて、結局、短大をやめてその会社の社員になったんです」