オーディションが始まってすぐ帰されたことも

「とにかくやるしかなかった」という当時の渡辺さんは、ひたすらアルバイトをして、オーディションを待つ日々を送った。

「下積み、とも言えない時期でした。現場に行けていなかったし、下積みすらできていなかったんじゃないかと思います。気持ちが折れながら過ごしていた部分もありました」

 印象に残っているのは、映画『バトル・ロワイアルII【鎮魂歌】』の生徒役オーディション。監督を務める予定だったのは前作『バトル・ロワイアル』の監督・深作欣二だったが、クランクイン直後に病に倒れ、2003年1月に逝去。息子である深作健太氏がメガホンを取り同年7月に公開された作品だ。

 出演者には前作に続きビートたけし藤原竜也のほか、メインキャストに忍成修吾、前田愛、生徒役として若き日の勝地涼青木崇高真木よう子が名を連ねる。

「たしか、オーディションのために撮影所に行っただけで帰されたのかな? “キミたちはそういう顔をしていない”と言われて」

ーーそういう顔……!?

「いま思えば選考基準はわかりますが、当時は“どういうこと?”という状態でしたね。何百人といる中で、クラスメイトを選ぶわけじゃないですか。横浜のほうで一人暮らしをしていて、撮影所がある大泉(練馬区)まで行くのもすごく遠かったのに、15分くらい“キミたちじゃない”みたいな説教をされてすぐに帰されちゃって、狐につままれた気分というか、“俺、なにしに来たんだろう”と思いながら帰りました」

渡辺大 撮影/冨田望

 俳優として手応えを感じぬまま、大学3年生を迎えた。オーディションは数か月に1度あるかないか。周囲からは「就職」「インターン」などの将来を見据えた単語が飛び交った。

「みんなそんな話をして、進路がどんどん決まっていく中で、“俺、なにもしてないな、どうしよう……”と思って。教育学部だったので教職は取ろうかと考えたりもしました」

 そんなとき、久しぶりに映画のオーディションの話が舞い込んだ。2005年公開の『男たちの大和/YAMATO』だ。参加者は約700人、海軍特別年少兵役5人を選ぶというオーディションだった。