大阪芸大在学中に『劇団☆新感線』に参加し、92年、NHK連続テレビ小説『ひらり』で注目を浴び、全国区の俳優となった渡辺いっけい。現在は多くのドラマ、映画、舞台で主演およびバイプレーヤーとして活躍している彼の「THE CHANGE」とはーー。【第1回/全2回】

渡辺いっけい 撮影/イシワタフミアキ

 もともと人を楽しませるのが好きな性分で、高校生の頃は漫画家を目指していたんです。サブカルチャー雑誌の『ビックリハウス』によく投稿してました。でも、自分より絵がうまいヤツが2人もいて、早々にその夢を諦めました(笑)。

 2年生のときの文化祭で、同級生の女の子にメイクしてもらってキャンディーズの格好で歌ったんです。それがウケて、「舞台に立つと、こんな楽しいことが毎日あるんだ」ということを知って、それで役者を目指す決心をしたんです。

 そこで、その文化祭の翌日には学校の図書館に行って、演劇を学べる学校を探しました。それで受けたのが日本大学の芸術学部と大阪芸術大学。結果として、日芸は落ちて、大阪芸大は受かったんです。

 大阪芸大に行くようになって、そこで、今は舞台演出家として有名ないのうえひでのりさんが座長を務めた『劇団☆新感線』に加わるようになったんです。同期にいたのは筧利夫さん。当時の『新感線』は、学生を中心にして結成された劇団で、つかこうへいさんの劇をやっていました。それをひと通りやり切ると、一度「解散しようか」ということになった。そのときに、いのうえさんから「本当にプロの俳優になりたいんだったら、東京に行くべきだ」ってアドバイスされて、僕と筧さんは東京に行くことにしたんです。それが大学4年生のときでした。

 ちなみに、僕らが抜けた後の穴埋めを探すため、後輩たちの舞台の稽古をいくつか見せてもらったんですが、そこで出会ったのが古田新太くん。誰よりもうまいくせに、先輩に遠慮して爪を隠しているんだなってことに僕は気付いたんですね。そこで遠慮なしの100%の古田君を見たくて、声を掛けて。当時の彼は『新感線』にはサラサラ興味がなかったけど、助っ人として出てもらったんです。そうしたら、いのうえさんが離さなくなっちゃって、今では『新感線』の看板役者です(笑)。