能生中学から海洋高校そして日体大へ

 けれども、能生中学に入学して、すぐに相撲の試合で結果が出たわけではなかった。頭角を現わし始めたのは、身長が180センチ台まで伸びた3年生の時。全国レベルの大会で3位に入り、1月末におこなわれた「第6回 白鵬杯」では見事に優勝。念願だった「日本一」を叶えることができた。

 海洋高校に進んでからは、1年生で団体戦のメンバーに選ばれるなど、「海洋高・中村泰輝」の名は、全国区として知れ渡っていった。

「高校時代は、全国大会で2つのタイトルを獲りたいと思っていました。ですが、結果は3年生の時の(全国高校選抜)十和田大会の1つだけ。悔しかったですね。だから、大学に進んで、もっと強くなりたいと思ったんです」

 泰輝は高校卒業後、日本体育大学へ進む道を選んだ。

 日本体育大学相撲部に進んだ理由は、「知将」と称される斉藤一雄監督の指導を仰ぎたいと思ったからだ。

「斉藤監督には、体の使い方や細かい技術を直接指導していただきました。そのおかげで僕は1年生の時から活躍することができた。1年生でタイトルを5、6個(実際は6個)獲れたなんて、高校の実績を考えると、自分でも『まさか……』という感じだったんですよね」

 こう言って、泰輝は斉藤監督との出会いに感謝を寄せる。

 中でも大きかったのは、「大学日本一」を決める全国学生相撲選手権で1年生にして優勝し、「学生横綱」の称号を手に入れたことだ。

「この時のインタビューで僕は、“自分の時代を作っていきたい”なんて、大きなことを言っちゃったんですよね。調子に乗っていたかもしれません(笑)。
 ところが2年生になると、コロナ禍の影響で軒並み(主要)大会が中止になって、個人優勝はなし。思い出しても、悔しい1年でした」

 けれども、泰輝は3年生になると、アマチュア日本一を決める全日本相撲選手権で優勝し。「アマチュア横綱」に輝く大活躍を見せる。

 そして4年時には、7月にアメリカでおこなわれた「ワールドゲームズ」に日本代表として出場し、無差別級で優勝。世界チャンピオンとなった後の12月の全日本選手権では、2年連続アマチュア横綱を獲るなど、大学生活の有終の美を飾った。