お岩さま役を演じて“自分が産んだ”という感覚になった

──映画で演じたあと、本興行で演じることになったわけですが、映画から歌舞伎の芝居へと落とし込んでいったことはありますか?

「映画とか本興行とかいうより、歌舞伎の芝居では、扮装(ふんそう)すると役の気持ちが分かるというか、その人になれちゃうんです。その気持ちに。お稽古で、浴衣を着て、お稽古場でやっていてもできなかったことが、扮装するとできてしまうことがある。お岩さまに関しては、赤ちゃんを抱えたときから、“自分が産んだ”という感覚になりました」

──“自分が産んだ”ですか。

「日常に疲れて、育児ノイローゼのようになって……。自分自身が、自然とそうした感覚になるんです。旦那さんの理解を得られなくてつらくて、でもこの子をなんとか守らなきゃと。そういう気持ちになる。そこに従って、自然に表現していきました」

──映画『八犬伝』は、馬琴の書く8人の剣士の物語と、執筆に執念を燃やす馬琴自身の世界を交錯させて見せていきます。劇中、馬琴が「虚と実」について口にする場面が印象的ですが、お岩さんに「なれちゃう」というのも、虚の中の実のひとつかと思います。右近さんも、普段から「虚と実」については考えますか?

「めちゃくちゃ思いますね。だいたい歌舞伎の白塗りが完全に虚ですよね。日常、街を歩いていて、あんなに真っ白にしている人なんていま、いません。今回の『八犬伝』での舞台の場面を見てもわかりますが、当時は劇場に自然光とろうそくしかなくて、薄暗くて役者の顔が見えないから、白くして、“ここに人がいますよ”と分かりやすくしていたんです。
 明るい照明があるいま、本来やる必要がない。それでも、歌舞伎の伝統として、デフォルメされたインパクトがあって印象的だから、残されている。魅力のひとつになっているわけです」

──違和感を覚えたことはありますか?

「“なぜこれを本当のことのようにやっているんだろう”と不思議に思う時期もありましたよ。楽屋で白塗りしながら、窓の外を見たらいい天気で、みんな休日に散歩やデートをしている。そんななか、“なんで自分は顔をこんな白く塗ってるんだろう”と。でも、やっぱり扮装(ふんそう)して、舞台に立つと、虚の中で言うそのセリフに“本当の気持ちでやっている瞬間”が現れるんです。まさに虚の上に咲く実の花。フェイクの塊の中に沸く真理にガッと引かれる。それに、何より相手役の“目”に実を感じます」

尾上右近 撮影/有坂政晴