翌場所、幕下3枚目まで番付を上げた大の里は、11日目(6番相撲)で、先場所苦杯を舐めた石崎に、再び敗戦。千秋楽でなんとか勝ち越しを決めて、9月の秋場所での新十両昇進を決めた。

 髪の毛はまだ肩までも伸びていない、「ザンバラ関取」の誕生である。

「新十両と言っても、まだ新弟子なので、“おかげさまで”の気持ちでやっていきたいです。そして、将来は誰からも愛される力士になりたいです」

 新十両会見で、初々しくこう話した大の里。

 苦戦した幕下の土俵とは裏腹に、大の里は初日から9連勝と、ストレートで勝ち越しを決める。

「1場所7番から、毎日15番取るほうが気持ちが楽」

 と言うように、十両の土俵で本来の力が爆発して、12勝3敗。続く11月の九州場所でも、11日目に勝ち越しを決める。そして、千秋楽には、元幕内・琴勝峰を優勝決定戦で退けて、十両優勝に輝き、初場所での新入幕を確実にした。

初土俵から5場所目で横綱、大関とも対戦

 幕内力士として土俵に上がった24年初場所も、好調が続いた。9日目には早くも勝ち越しを決めた大の里は、前頭15枚目ながら、11日目に大関・豊昇龍、12日目には横綱・照ノ富士との対戦が組まれた。初土俵から5場所目で横綱との対戦が組まれるのは、異例のことだ。

 いずれも敗れてしまったものの、11勝4敗で敢闘賞を受賞する。翌春場所、前頭5枚目にジャンプアップした大の里は、またしても9日目に勝ち越し。10日目には、新入幕でここまで全勝の尊富士との対戦が組まれた。優勝を争う大一番で、大の里は敗戦。この場所は、尊富士が新入幕で優勝を決める快挙を遂げたが、大の里も11勝をマークして、敢闘賞と技能賞を受賞した。

「尊富士関との相撲は、自分が消極的になってしまい、後悔が残る1番です。(1学年上の)尊富士関は日大、自分は日体大で学校は違うんですが、学生時代から“気持ちが強い方だなぁ”と感じていました」

 と、振り返った大の里。「“悔い”は、5月の夏場所の土俵で返す」という強い気持ちで臨んだ夏場所は新三役(小結)に昇進。その初日は、いきなり横綱・照ノ富士戦が組まれた。

 照ノ富士にモロ差しの体勢を作り、横綱の小手投げに慌てることなく、腰を下ろして付いて行って、すくい投げの勝利。

「初場所(の初対戦の時)は、むちゃくちゃに当たって、走ることばかり考えていたけれど、それでは勝てないと自分なりに作戦を練りました。前回は投げられて負けましたが、(横綱の)小手投げを腰を落として反応できたのが勝因です」

 と笑顔を見せた大の里。

 5日目は大関・霧島を寄り倒し、6日目には大関・琴櫻を寄り切りで破って、1横綱・2大関を撃破。10日目には早くも勝ち越した。

 優勝の行方は、14日目を終えて、大の里、琴櫻、関脇・阿炎、平幕・大栄翔の4人に絞られ、3敗の大の里が一歩リードした形で、千秋楽を迎えることとなった。

(つづく)

大の里(おおのさと)
二所ノ関部屋所属の力士(本名:中村 泰輝)平成12年6月7日生まれ。石川県河北郡津幡町出身。身長/192.0cm、体重/182.0kg
初土俵は令和五年五月場所、同年九月場所に新十両、令和六年一月場所で新入幕を果たす。同年3月場所に平幕で初優勝、そして9月場所では関脇として13勝2敗で優勝し、大関昇進を果たした。