平成の大横綱・第65代横綱の貴乃花光司。1988年、藤島部屋に入門し、1992年の初場所で、史上最年少の19歳5か月で幕内初優勝を達成。兄・若乃花と「若貴フィーバー」を巻き起こした貴乃花のTHE CHANGEとは──。【第2回/全2回】

貴乃花光司 撮影/柳敏彦

 私よりも1期下ですが、同じくハワイ出身の武蔵丸さんも強く印象に残っている力士です。彼はアメリカンフットボールのアメリカ代表選手だったと聞いています。武蔵丸さんも相撲未経験で入門していながら、はじめから別格の強さでした。均整のとれた体格で、骨格が柔らかいんです。さらに底力もあって、今後も、あれだけ強い力士はなかなか出てこないと思いますよ。

 武蔵丸さんとの印象的な取組といえば、2001年5月場所の優勝決定戦。当時の首相、小泉純一郎さんから、「痛みに耐えてよく頑張った。感動した!」との言葉をいただいた一戦ですね。その前日に私は武双山戦で膝がはずれてしまい、師匠からは「出場するな」と言われていました。ただ、しばらく優勝から遠ざかっていたこともあり、「武蔵丸関ならば相手にとって不足はない。出場したことで、力士としての人生が終わってもいい」という気持ちで、出場する決断をしました。

 しかし、怪我をしている私との対戦は、武蔵丸さんからすれば、やりにくかったと思います。引退後に「あのときのVTRばかりがテレビで流れてしまって……。私がマルちゃんにひっくり返されて負けたことだってよくあったのに、ごめんね」と話しをしました。すると武蔵丸さんは、「いやいや、気にしないで」と笑ってくれました。他にも、武蔵丸さんとは「大関は2回負け越さなきゃいいけど、横綱は負けられないもんね。負け越したら終わりだもんね」とか、「横綱のときは本当にキツかったよね」なんて話したこともあります。そもそも武蔵丸さんは「ライバルは自分自身」という考えの方で、それは私も共感するところ。話がよく合いましたね。

 当時は日本人力士とハワイ勢の対決といった見られ方をよくされましたが、真剣勝負で戦いあった仲ですから。彼らとは目には見えない絆が生まれていたんですよ。