元関脇・青葉城が持っていた通算連続出場記録(1630回)を塗り替え、大相撲に新たな記録を打ち立てた玉鷲。特別なスポーツ経験が無いまま19歳で相撲を始めたという、異色の経歴を持つ。16日に40歳の誕生日を迎えたばかり。そんな玉鷲のTHE CHANGEとは──。【第4回/全5回】

玉鷲 撮影/有坂政晴

 玉鷲がようやく幕内力士として定着した2010年、師匠として厳しく、時に優しく、愛情たっぷりに接してくれた師匠(片男波親方=先代=元関脇・玉ノ富士)が定年を迎えたため、兄弟子でもあった元玉春日に師匠が交代した。
 この時、玉鷲は25歳。力士として、男性アスリートとしてもっとも力を発揮できると言われる年齢だ。

「なんだか、あの頃はフワフワしていたというか、幕内力士になったことに満足して、相撲とちゃんと向き合っていなかった気がします。酒席でハメをはずしてケガをしたり、成績も振るわなくて、また十両に陥落するハメになってしまって……」

 この頃、かねてから付き合っていた、妻・エルデネビレグさんと結婚。けれども、「奥さんのためにも、なんとか三役に上がりたい」という玉鷲の思いは空回りし続けていた。
 ようやく新三役(小結)に昇進したのは、15年春場所のこと。66場所(11年間)をかけての新三役昇進は、外国出身力士として「最スロー記録」というオマケがついた。

「27歳から31歳くらいまでが、一番苦しかった。前よりも相撲への意欲が薄れたことで、自分の体の貯金が減っていたんです。“これじゃ、ダメだ!”。30歳から、もう一度自分を磨いて、もっとよくなる! もっと強くなる! と信じて、稽古に励むようになったんです」