東京五輪の汚職事件で逮捕・起訴された出版社KADOKAWAの元会長・角川歴彦氏(81)が、国に対して2億2000万円の賠償を求める裁判を起こした。
角川氏の五輪汚職については、2024年10月8日に初公判がはじまったが、それとはまったく別の裁判だ。
角川氏が東京地検特捜部に逮捕されたのは2022年9月14日。保釈が認められたのは、逮捕から226日目の2023年4月27日。否認を続けたことで勾留(身体拘束)が長期化し、身体的・精神的苦痛を受けたとして国を提訴したのである。
「賠償金ほしさに国を訴えたわけではありません。この裁判は日本の司法のあり方、検察の捜査手法の違法性を問うことが目的です。
日本の刑事司法では、逮捕されて被疑者になると、容疑を否認したり、黙秘したりすると保釈が認められず、身体拘束が続くケースが多いんです。
勾留中は、弁護士の立ち会いも認められない中で厳しい取り調べが延々と続き、そのプレッシャーに耐えられなくなり、事実とは異なる虚偽の自白をしてしまう人もいる。
つい最近、無罪が確定した袴田事件のような冤罪を生む温床にもなるわけです。こうした強引で、不当な長期勾留は『人質司法』と呼ばれ、海外でも人権侵害だと批判されています。
おそらく先進国の中で、このような『人質司法』がまかり通っている国は日本くらいでしょう。だから、僕は今回、『人質司法』の違法性を訴えたわけで、裁判所には『人質司法』の問題を真正面から受け止めてほしい。80歳を過ぎた僕が、この先、どこまで裁判を続けられるか分かりませんが、残りの生涯をかけて闘う覚悟です」
角川歴彦氏の人生の転換点、THE CHANGEについて聞いた。【第1回/全4回】
突然の逮捕と長期にわたる勾留は角川氏にとって、まぎれもなく劇的な「THE CHANGE」だった。しかし、なぜ、これほど勾留は長期にわたったのか。そして、それでもなぜ、角川氏の心は折れなかったのだろうか。
「自分の経歴にさえ、拇印を押しませんでした」
「刑事訴訟法では勾留期間は原則10日間であり、やむを得ない事由があるときは10日間の延長が認められます。でも、現実に特捜部に逮捕されたら、20日の勾留は当たり前。1日4時間として、80時間以上の取り調べを受けるわけです。その後も逮捕、再逮捕により、40日、60日と勾留されることもある。被疑者にすれば『いつ出られるのか』と不安になってくるし、検察官はその不安を巧みについてきます。
僕は一貫して汚職に関与していないことを主張しました。供述調書にもいっさい拇印を押さなかった。自分の経歴にさえ、拇印を押しませんでした。証拠らしい証拠もなく、無実の人間を逮捕した検察への強い怒り憤りがあったからです。同時に、拇印を押さないことで気持ちを奮い立たせていました。
起訴されたのは逮捕から20日後。そのときの検察官の顔はハッキリ覚えています。いわゆる検事顔とでもいうのか、ちょっと険のある、勝ち誇ったような顔でした。
拘置所に戻ると、看守にはこう言われました。