「このとき、やっと笑みがこぼれました」
「海外逃亡はもちろん、どこにも逃げ隠れするわけがないのだから、いつまでも僕を拘置所に閉じ込めておく必要なんてないんです。拘置所の接見室に弁護士がやってきて、アクリル板越しに保釈が却下されたという書類を見せてくれたときは、言葉では言い表せないほどガックリしたものです。
5度目の請求で、ようやく保釈が決定し、拘置所の外に出たときは不思議な感覚でしたね。弁護士に車椅子を押してもらって、外に出たんですが、何社もの報道陣のライトで照らされ、真昼のような明るさなんです。そこにカメラのシャッター音が鳴り響く。
ぼくはなぜかケヴィン・コスナー主演の映画『フィールド・オブ・ドリームス』を思い浮かべていました。コスナー演じる主人公が心に聴こえる“声”に従って作った野球場に、かつて無実の罪で永久追放された名選手たちが現れる。そんなシーンがふと頭に浮かんだのは、自分自身の姿をもう一人の自分が天上から見ているような感覚があったからだと思います。
どこか他人事というか、自分の目で見る世界と、自分から離れた世界の間を魂がさまよっているような感覚でした。
そして、しばらくすると、女性たちの“会長、お帰りなさ~い”という声が聞こえてきた。ああいうときって、男の声ではなく、やっぱり女性の声が耳に響くんですね(笑)。このとき、やっと笑みがこぼれました。よく刑務所や拘置所を出ることを“娑婆に出る”といいますが、僕には“死地を脱した”というのが実感でした」
(文責/米谷紳之介)
(第2回に続く)
角川歴彦(かどかわ つぐひこ)
1943年9月1日、東京都生まれ。66年3月に早稲田大学政治経済学部を卒業後、父・角川源義の興した角川書店に入社。「ザテレビジョン」「東京ウォーカー」などの情報誌を創刊し、93年の社長就任後はゲームやインターネットの可能性にいち早く注目してメディアミックスを進め、KADOKAWA(2002年に会長兼CEO就任、13年に商号をKADOKAWAに変更)を三大出版社(講談社・集英社・小学館)に対抗する出版社に育て上げた。22年9月14日、東京五輪のスポンサー選定を巡る汚職事件で逮捕。翌23年4月27日に保釈が認められるまでの226日間、勾留され続けた。24年6月27日、日本の「人質司法」の非人道性や違法性を世に問うべく、国を提訴。同日、手記『人間の証明 勾留226日と私の生存権について』(リトルモア)を出版した。同10月8日に、東京五輪の汚職事件の初公判がはじまった。