1979年に『機動戦士ガンダム』で、ロボットアニメの世界にリアリティを取り入れる新しいジャンルを生み出した富野由悠季監督。82歳にして、今なおアニメの最前線で挑み続ける富野監督のクリエイティビティの源はどこにあるのか。東京・杉並のバンダイナムコフィルムワークスの社屋「ホワイトベース」の会議室で富野監督の「THE CHANGE」について聞いた。

富野由悠季 撮影/冨田望 

【インタビュー第4回/全5回】

 

■「人類の革新のハウツーを示すような物語が作れなかった」

「ぼくのキャリアは虫プロの『鉄腕アトム』から始まっているから、昔から“富野さんはアニメ志向なんですよね?”と言われるんだけど、実はアニメ志向だったことは今まで一度もないんです。映画としてアニメを作るということしか考えていなかったんだけど、それも結局きちんとできないまま、今日まで来てしまったという意味で、ぼくには“敗北感”があるんです」

 ロボットアニメにリアリティを取り込んだ新しいジャンルを作り、最前線で作品を生み出してきた富野監督。その功績のかたわら、時に自身や自身の作品も厳しい言葉で批判するが、それは常にストイックに真実を見つめる姿勢ゆえだろう。

「“ガンダムの富野”と言われるようになってからの命題でいえば、『ニュータイプ』っていう単語を出してしまったばかりに、人類の革新のハウツーを示すような物語を作りたかったんだけど、それができなかった。
 この場合の『ニュータイプ』というのは1人の超能力者とか1人のスーパーマンがどうのという話ではなくて、人類全体を一挙に底上げするっていう話で、底上げするための方法論を指し示すことができなかった“敗北感”があって、それが重いんですね」

『機動戦士ガンダム』の主人公、アムロ・レイをはじめ、同シリーズには「ニュータイプ」と呼ばれるキャラクターが登場する。その概念は明確にされていないが、宇宙という広大な空間へ進出した新しい人類は時空を超えた共感能力を獲得し、「人の革新」そして「人類の新しい在り方」を巡って戦いを繰り広げた。こうした考えはアムロやシャアのセリフだけでなく、富野監督の語る言葉からも伝わってくるものだ。

「敗北感という言い方は、“それってちょっと図々しくありません?”という見方もある。そりゃ図々しいです。だってそんな、人類全体を底上げするなんてことができたら、お釈迦さまとかキリスト以上でしょ? でも“そういうレベルにきたんじゃないの?”というようにも思っているんですよ。

 ガンダムですでに“人類が増えすぎたからだ”ってことを言っています。あれだって、ぼくの発想でもなんでもなくて、ガンダムの制作がはじまる数年前にローマクラブでエネルギー問題が提唱されて、人口増に対応できるのかという話があって、そこから引いているだけなんです。
 ではこの解決策についてどうするか考えたときに、“いつまでも戦争をやっていてはダメだ”と、そういうところから『ガンダム』はスタートしたんです。でも宇宙移民者との戦争、人類同士が戦争をするという話を考えたときに、戦争をとめるような人類を育てるようにしなくちゃと思ったんだけど、そのハウツーを示すことができなかった」

 ここでもまた「敗北感がある」と重ねた富野監督。近年で一番それを強く感じたのは、2017年にアメリカ合衆国でドナルド・トランプが大統領に就任したことだという。

「ああ、これはもうダメだと思ったのは、事実として、このレベルの人間を大統領にさせるような人類ではやっぱりダメだろうということなんです。そして、この1年、プーチン氏がやることを誰も止められない。これはおそらく4、50年、100年ぐらいのレベルで、人類は後退したんじゃないの? と思えるからなんです。そういう人たちを出さないためのハウツーを示す作品を作れていないという敗北感があるんです」

ーー100年前のほうがまだ良かったですか?

「100年前と同じような政治しかやっていないということなんです。まったく進歩していない。むしろ、なまじ武力が高性能になったばかりにタチが悪くなったわけです、戦い方は」

ーーたしかにおっしゃる通りです。

「もっと重要なのは、地球のエネルギーが有限だということが、分かるようになっちゃったじゃないですか。有限な地球で、人類がこれから1億年存続するにはどうしたらいいかを考えなくちゃいけないのに、人口だけはバンバンバンバン増えている。
 食糧と水の問題、居住環境の問題を本来考えなくちゃいけないところに、一方では戦争も止められない。これは人類が全滅していくための図式しかないんじゃないかと思いますよ。ですから、本当の意味でニュータイプ論というものを意識して、人は自己改革していかなくちゃいけないんじゃないかと思いますね」