1979年に『機動戦士ガンダム』で、ロボットアニメの世界にリアリティを取り入れる新しいジャンルを生み出した富野由悠季監督。82歳にして、今なおアニメの最前線で挑み続ける富野監督のクリエイティビティの源はどこにあるのか。東京・杉並のバンダイナムコフィルムワークスの社屋「ホワイトベース」の会議室で富野監督の「THE CHANGE」について聞いた。

富野由悠季 撮影/冨田望 

【インタビュー第5回/全5回】

■「オリジナルの作品を作っていかなければならないという“使命感”があった」

ーー日本だけに限らず、海外の映画作品でももともと原作があるものを映像化し、ヒットした作品が多いと思います。『Gのレコンギスタ』もそうですが、富野監督がオリジナル作品にこだわりゼロからアニメを作り続ける、その理由を教えてください。

「物知りじゃないからです。いわゆる、原作になるようなものをいっぱい読んでいたら、ぼくも原作を使うでしょうね。だけどぼくは『鉄腕アトム』のころからオリジナルで始まっちゃった人間なんです。他の発想を持てないんですよ。そういう意味では、とても狭い人間なんです」

ーー富野さんは1964年放送の『鉄腕アトム』オリジナルエピソード「ロボット・ヒューチャーの巻」で演出家としてデビューしています。そこが創作の基本スタイルになっているということでしょうか。

「単純にそうです。あとはいろいろなスタジオでコンテを切っていた時代に、漫画原作の仕事もやっていましたから、そちらで気が済んじゃったんですね。
『アルプスの少女ハイジ』や『母をたずねて三千里』の仕事もやっていました。ぼくの場合は巨大ロボットものの仕事も多かったんだけど、そこにもオモチャや企画の原作があって、そういった仕事は縛られる窮屈さがありました。
 だから、あらためて自分が監督をやるというときには原作を探す気にはならなかったんです。それだけの話です。あとぼくの場合に関していえば、オリジナルの作品を作っていかなければならないという“使命感”もありましたね」