1974年に日活に入社し、1978年、『オリオンの殺意より 情事の方程式』で監督デビューした根岸吉太郎さん。今回広瀬すずさん主演の『ゆきてかへらぬ』で16年ぶりに新作を撮る彼の「THE CHANGE」とはーー。【第1回/全2回】

根岸吉太郎 撮影/イシワタフミアキ

 大学時代の僕は、映画監督志望でしたが、一方で勉学にはあまり熱心ではなかったんですね。卒業論文もいい加減に取り組んでいたので、フランス語の単位だけを残して、留年してじっくり取り組もうと考えたんです。

 ところが、フランス語の先生に呼び出され、「毎年、君のような学生がいるが、来年、君の顔を見たくない。卒業できる最低限の点をつけるから、出て行きなさい」と言われまして。それが1974年、大学4年の2月の終わり頃でした。

 具体的に進路をどうするかも決めていなかったので、その足で大学の就職課に向かいました。そこでたまたま、日活が助監督を募集している情報を見つけたんです。「こんな時期に募集しているんだな」と思いながらも、試験を受けたところ、幸いにも受かりました。

 当時の日活は、映画産業の斜陽化で瀕死の状態となって、ロマンポルノを量産していました。2週間で1本のペースで撮影が行われ、映画館では他社の作品も1本加えて3本立てで上映されていたんです。

 当時のポルノ映画は、“ベッドシーンが必須”という以外に制約がなく、非常に自由だったんですね。その中で、先鋭的な作品が次々に生まれ、世間から認められるようになっていました。現場に熱気があった。

 助監督になって1年ほどたつと、なんとなく決まった監督の下につくようになります。僕は曽根中生さん、それから藤田敏八さんにつきました。

 助監督というと、不眠不休で働くイメージを持たれがちですが、日活は組合が強く、労務管理もしっかりしていたのでそれほど過酷ではなかったですね。むしろ、10日間くらい何もないという時期があったぐらいで。熱気もあれば暇もあった、なんともいい時代でした。ただ、給料の遅配がたまにありましたが(笑)。

『オリオンの殺意より 情事の方程式』という作品で監督デビューしたのは入社4年目のことです。量産体制だったので、チャンスが多かったんですよ。