1974年に日活に入社し、1978年、『オリオンの殺意より 情事の方程式』で監督デビューした根岸吉太郎さん。今回広瀬すずさん主演の『ゆきてかへらぬ』で16年ぶりに新作を撮る彼の「THE CHANGE」とはーー。【第2回/全2回】
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1982年に映画監督たちが集まって結成した制作会社ディレクターズ・カンパニーの頃はハイペースで映画を撮っていました。自分でやりたいと思う企画もあれば、頼まれて撮った作品もありました。
角川映画の『探偵物語』を撮ったのは1983年、33歳のときです。当時、主演の薬師丸ひろ子さんは大変な人気で、非常に注目度の高い作品でした。だけど、振り返ってみるとプレッシャーはそれほど大きくありませんでした。若かったので、失敗してもまだ先があると思えたんですよ。70歳を過ぎて映画を作るほうがよほどプレッシャーは大きい(笑)。
『探偵物語』のとき、薬師丸さんはまだ10代でしたが、研ぎ澄まされた感覚の持ち主でたね。僕の指示を待つのではなく、脚本を自分なりに解釈して演じていました。対する松田優作さんは、それまで主役が多かったので、サブの立場で自分がどう動くか、どう映るか、セリフをどう言うかを考え抜いていました。
『ひとひらの雪』(1985年)は、もともと深作欣二さんが監督する予定だったのですが、いろいろな事情があり、最終的に東映のプロデューサーから僕に依頼が来ました。最初は断ったのですが、結局逃げ切れずに引き受けることになった(笑)。
あの作品では、秋吉久美子さんと津川雅彦さんの濡れ場を徹底的に描きました。秋吉さんはみずみずしい女優で、突拍子もない発言をする一方で非常に理知的で、芝居を丁寧に作り上げるタイプでした。助監督時代にお仕事をしたことがあって、「いつか自分の作品に出てもらいたい」と思っていたんですよ。
90年代の中頃からは、しばらく映画を離れて中島みゆきさんの『夜会』の映像化等の仕事をしていました。僕は、映画に真剣に向きあった後に妙に気持ちにぽっかり穴が空いたようになって、それまでも数年映画から離れることが何度かありました。