時に情熱的に、時に涙もろく。“アツい男”の代名詞的存在である照英。学生時代にやり投げの選手として活躍した後、その鍛え抜かれた体躯からモデルへ、そして俳優・タレント業へと変貌を遂げていった経歴を持つ。現在は、旅番組や釣り番組などを中心に世界中を飛び回る生活だが、その人生は、CHANGEに溢れている。アスリートからモデル、そして俳優と常に全力で駆け抜けてきた照英の「THE CHANGE」に迫る。【第4回/全5回】

照英 撮影/有坂政晴

 “イクメン”の先駆者として、自身のキャリアを180度転換し、突き進んできた照英さん。スポーツ、モデル、俳優と後ろを振り返らずに邁進してきたと語るが、自身の“子育て”については後悔ばかりだという。これまでの子育てを振り返って語るその目には、涙が滲んでいた。

「これは親はみんな思うかもしれないですけど、子育てに“正解”はない。親の思うようには育たないんですよね。僕も息子に対して、勉強も運動もこうやって育て上げたいというのがあったのに、全然その通りにならない。これはすごい“実験”だったなと思いましたよ(笑)」

 アスリート出身の照英さんだけに、息子さんにもやり投げを目指させたいと思ったことはあったという。

「やっぱりやらせたくてね、やり投げ選手って野球をやってた人が多いから、小学生の時に少年野球に入れたんです。でも数週間後に“野球全然面白くない”って言われちゃって。僕も“嫌ならやめちゃえ、やりたいことが見つかったらパパに教えてよ”なんて答えてしまったんです。今思えば、“もう少し頑張れ”くらい言えばよかったのに。でも当時はそれが良い親だと思っていたんです。そしたら、“やりたいもの”がなかなか見つからずに、結局高校生になって野球を始めたんです(笑)」

――戻ってきたんですね。

「中学で一旦剣道の道に行って、高校で野球部に入りました。少年野球からやってれば、ここから硬式野球やってプロを目指す、なんて道筋もあったけれど、高校から始めたから少年野球と同じ軟式野球しかなかった。それを見て“息子に嫌って言われてもしがみつかせて甲子園を目指させればよかった”って思いましたね」