時に情熱的に、時に涙もろく。“アツい男”の代名詞的存在である照英。学生時代にやり投げの選手として活躍した後、その鍛え抜かれた体躯からモデルへ、そして俳優・タレント業へと変貌を遂げていった経歴を持つ。現在は、旅番組や釣り番組などを中心に世界中を飛び回る生活だが、その人生は、CHANGEに溢れている。アスリートからモデル、そして俳優と常に全力で駆け抜けてきた照英の「THE CHANGE」に迫る。【第5回/全5回】

やり投げの全日本学生選手権で準優勝の過去をもつ照英さん。2019年には全日本マスターズ陸上大会で優勝した他、長男にも槍投げを勧めるなど、今でもやり投げに対する熱は冷めやらない。アスリートからモデル、俳優、タレントへと活動を進めてきた照英さんに、これから見据える熱い思いを語っていただいた。
――学生選手権や国体で好成績を収められていたか照英さん。大学卒業後も、陸上選手やアスリートで生きていこうとは思われなかったのですか?
「当時、陸上競技で食べていくのはとても難しかったんです。企業に就職しても午前中は働いて午後からはずっと練習、オリンピックに出られないと食べていけない、という先輩を見ていて辛そうでしたし、自分が卒業してからシドニーオリンピックまでの4年間をどう生きていこうというのが一番の問題だったんです。だから、他の道として中学や高校の体育の教師なども考えていました」
――今と全く違いますね。そこから“モデル”に舵を切ったというのはどのような経緯で?
「もともと、僕は休みの日くらいカッコつけたいな、と思うタイプなんです(笑)その中で自分でチャレンジできることを探していた時に、ファッション雑誌を見つけたんです。ファッションショーのページで、ナオミキャンベルとかの女性スーパーモデルの隣に、マークという当時世界一のメンズモデルを見つけたんです。それがバキバキの筋肉に上半身裸の姿。当時の日本のモデルは細身で中性的な雰囲気が流行っている時期で、自分の筋肉は日本には受けないだろうから、世界のモデルとして活躍できるか試してみようと思ったんです。そこでモデル事務所や芸能事務所15社受けて通った1社からオーディションを受けて……といった感じです。イッセイミヤケのポスターなど、いろいろさせていただきました」