別に人を斬りたいわけじゃありませんよ

ーーえ……!? どういうことですか……!?

「抱き首っていうのは切腹の作法のひとつなんだけど、かすり傷でもいいから切腹して、"お願いします!”と叫んでくれたら俺が介錯しますから。そのとき、喉元の皮一枚だけ残すように斬るんですよ。そうすると、首がスコーンと飛んで行かず、切腹するために腹を抱くような形になっている腕の中に、首が落ちるんです」

ーーなるほど、それで「抱き首」。

「いま、それの稽古をしているんです。ただただ畳表を斬っていてもおもしろくないから、表面だけ残して斬るという練習をしていたら、おのずと抱き首の練習になってしまったんです。別に人を斬りたいわけじゃありませんよ。それじゃあ殺人になっちゃうじゃない」

 別荘で抱き首の練習をするーー俗世から一線を画した姿はさぞ目立ちそうだが、案の定「見ている奴がいる」んだとか。

「別荘のまわりは海しかありませんが、長い湾の対岸のマンションから双眼鏡で見ている奴がいて、"見事に斬れましたね”なんて言ってくることもあります」

 表現者でさえも清廉潔白が求められがちな昨今だが、だからこそ血なまぐさい生命力を感じさせる北方作品を欲してしまうのだ。

(つづく)

北方謙三(きたかた・けんぞう)
1947年10月26日生まれ、佐賀県出身。1970年、「明るい街へ」で作家デビュー。1983年に『眠りなき夜』で日本冒険小説協会大賞、吉川英治文学新人賞受賞し、以降さまざまな文学賞を受賞。2013年には紫綬褒章を受章した。代表作はハードボイルド小説『檻』『逃れの街』や、『武王の門』を始めとする歴史小説、中国史の長編作品『水滸伝』『三国志』。『試みの地平線』(1988年)はいまなお語り継がれる人生相談界の雄。

【作品情報】
北方謙三、伝説の剣戟小説、日向景一郎シリーズ5カ月連続刊行

風樹の剣<新装版> 日向景一郎シリーズ 1 定価:968円 (本体880円) 発売中
降魔の剣<新装版> 日向景一郎シリーズ 2 定価:880円 (本体800円) 発売中
絶影の剣<新装版> 日向景一郎シリーズ 3 定価:968円 (本体880円) 発売中
鬼哭の剣<新装版> 日向景一郎シリーズ 4 予価:990円 (本体900円) 4/9発売
寂滅の剣<新装版> 日向景一郎シリーズ 5 完 予価:1,034円 (本体940円) 5/14発売