傷ついた心で保育園の門を叩くも、なかなか受け入れられず…

 芸能界を引退し、注目を浴びるために20キロ増量を敢行。その後どうやって立ち直っていったのか。

「もともと心理学的なものにすごく興味がありました。自分で勉強したり調べたり、知り合いにも話を聞いたりして、“なんとかこの場から抜け出したい”と思っていました」

  そんなある日、目にしたのが学生時代のアルバムだった。

「やりたいこととして書いていた夢が、パン屋とケーキ屋とアイドル、そして保育園の先生でした。昔、パン屋やケーキ屋はバイトで経験して、そしてアイドルにもなりました。いつの間にかやりたいことを選んでいたんです。じゃあ、あとは保育園の先生しかないと思って目指し始めました」

 決意してから、小阪さんはすぐに行動に移す。

「保育園は保育士の資格がないと働けないから無理だと思って、まずは子どもと接点を持てる仕事がいいと思って子ども服のショップ店員をやりました。でも、当初の目的である子どもと接する機会があまりなかったんです。その頃になって、保育士の補助として保育園で働く方法があると知って、保育園の面接を受けるようになりました」

 しかし、就職活動は思うようにいかなかった。

「当時はまだ私が芸能人として顔が知れていて、冷やかし半分だと思われたりしてなかなか受かりませんでした。まだ心が傷ついた状態でしたし、“受からなかったら死ぬしかない”みたいに考えていて、必死に応募しました。そうしてようやく芸能関係の方が園長さんをしている保育園に受かって、そこで保育補助として2年ぐらい働きました」