報知新聞を退社しタンザニアへ留学

 小説を書きたいと思ったのは、報知新聞でスポーツ記者をしていた25歳の時だ。

「プロゴルフやアマチュアスポーツの担当をしていましたが、スポーツ新聞の記事って成功した人のことしか書かないんですね。でも、成功した人の影には、その何十倍も何百倍も挫折したり、競技をやめていったりする人がいます。私は影の側にいる人たちの再生の人生を小説で書きたいと思いました」

 翌年、26歳で報知新聞社を退社した。

「小説を書こうと決めたことが、私の最初の『THE CHANGE』だったと思います。勤務の傍ら、小説を書き始めました。でも、忙しくて頓挫の連続で作品ができあがらなくて、やっぱり会社勤めをしながら書くのは難しいなと、退社しました」

 藤岡さんは間もなくアフリカのタンザニアへ留学する。なぜ、タンザニアへ?

「学生時代、留学したかったけれど、行けなかったんです。3年半働いて貯金があったので、せっかくだから学生時代にできなかったことをやろうと思いました。
 タンザニアにしたのは、今行かなければ一生行かないかもしれないという場所がアフリカだったから。探検家で医師の関野吉晴さんの『グレートジャーニー』のファンだったという理由もありました。周りからは大反対されましたよ。母は泣いていました(笑)。
 それでも行ったのは、“自分が今したいことをする”と決めていたからです。もともとの性格もありますが、そう決めたのは、就職氷河期の経験が大きいと思いますね。大学に入って、それまで売り手市場で楽に就職できると思っていたのが、大学3年生の時、突然、バブル景気が終わり、手のひら返しのように就職の道が閉ざされたんです。社会を信用したらダメだな、自分の力をつけて、自分で人生を切り開いていかなければいけないと思い知りました」

(つづく)

藤岡陽子(ふじおかようこ)
1971年京都府生まれ。同志社大学文学部卒業。株式会社報知新聞社を経て、タンザニア・ダルエスサラーム大学留学。慈恵看護専門学校卒業。2009年『いつまでも白い羽根』(光文社)でデビュー。『リラの花咲くけものみち』(同)で第45回吉川英治文学新人賞受賞。『海路』『トライアウト』『晴れたらいいね』(同)『金の角持つ子どもたち』(集英社)『森にあかりが灯るとき』(PHP研究所)など著書多数。