すごく悩んだ社会と芸能界のギャップ

 こうしてデビューした東さん、「私、会社員時代に鍛えられたのでニーズに応じて喋れたので、直ぐにレギュラーが7、8本付いたんです」と当時を振り返る。そしてある地方局の情報バラエティ番組に出演した際の待遇に驚いたという。

「局のアナウンサーと私とで始まった平日の帯番組でした。その時に、私はただフリップを持っていれば良いからって言われたんです。“えっ!?”って感じですよ。番組のオーディションの時、私の社会的な発言や新聞をちゃんと読んでいるところをあなたたちは評価しての採用だったんでしょって。こういう性格なので、番組の反省会でも発言したら“君の意見は求めてないんだよ”と言われました。“こんなにも男尊女卑?”とびっくりしました。こういうことって芸能界の方が進んでいると思っていたので、社会と芸能界のギャップって何なんだろうとすごく悩みました」

 その後、1987年からテレビ朝日系列で放送された料理番組『金子信雄の楽しい夕食』(87~95年)に初代アシスタントとしてレギュラー出演し、名前は全国区になり人気も上昇。この番組に出演し『お嫁さんにしたい女性有名人NO.1』と言われるようになった。

「正直、心情的には複雑でしたね。きっと“パートナーにしたい”とか、“恋人にしたい”“結婚したい”という書き方だったら嬉しかったと思うんですけど、『嫁』というフレーズが嫌でした。だから、私自身はいまもプロフィールには載せていません。だって、嫁になりたいという人が芸能界に入ってくるわけないだろって思っていたので(笑)。嫁という言葉には男性から見た、自分たちがコントロール出来る、家を守って育児もして自分の親とも上手くやって、というイメージがあるので。そういうイメージが付いちゃったか、どうしようって思っていました」

 その翌年(88年)からクイズ番組『ヒントでピント』(テレビ朝日系)への出演が決まると、その頃から東京での仕事が増え、大阪と東京を往復する生活が続いた。そして昭和最後の年、すなわち平成元年(89年)に情報報道番組『THE WEEK』(フジテレビ系)のMCに抜擢されたのをきっかけに拠点を東京に移した。その一方で、俳優の仕事も増えていったが、自身の中で俳優という仕事が面白いと思えるようになったのは96年から主人公の若女将を演じたドラマ『温泉若おかみの殺人推理』(テレビ朝日系)シリーズだった。

「それまでもゲストで呼ばれたりポツポツとは出させていただいていたんです。でも、ずっと俳優をさせてもらっても良いのだろうかと戸惑いがありました。劇団出身でもないし、端役から頑張ってきたわけでもないのに、いきなりの主役だったので。いつまでこの役を演らせてもらえるのかなって思っていたぐらいでした。だから当初はプロフィールにも『俳優』という肩書きは書けないと思っていたんです。おこがましくて……」