1972年に日本サッカーリーグの藤和不動産サッカー部(現在の湘南ベルマーレ)のオファーを受けて日本にやってきて、引退後は、日本サッカー協会公認の『さわやかサッカー教室』を開きサッカーの普及に尽力したセルジオ越後。彼の「THE CHANGE」とはーー。【第1回/全2回】

初代Jリーグチェアマンの川淵三郎さんに、「セルジオさん、(辛口は)やめられないの?」って聞かれたことがある。川淵さんには、もっと良くなってほしいから辛口な発言しているんだよって伝えて、日本のサッカーをつぶすつもりなんてまったくないんだと説明をしました。そもそも、もし日本のサッカーがダメになったら、僕、仕事がなくなって、ごはんが食べられなくなるしね (笑) 。
セルジオ越後といえば、世間的には辛口のイメージが強いかもしれない。でも、実は僕が辛口になったのはJリーグができてからなんだ。プロだから、厳しい目で見られるのは当然だと思っているから。むしろ、プロだからこそ、辛口な目線が必要なはずなんだ。
今のJリーグでは、多くのスタジアムが、行政に援助してもらうことが前提になっている。そもそも、行政の援助に頼ることが前提ならば、それはアマチュアだよ。これでは、サッカーに興味のない人たちから見れば、税金のむだ遣いだと思われてしまうかもしれない。
スタジアムだって、その地域の個性をもっと出すように努力しなければいけない。日本には、この地域だからこそと言える名物になるようなスタジアムが少ないように思う。リーグの規定通りに作ろうとするから、全部、コピペみたいになっちゃうんじゃないかな。
人口が少ない地域ならば、2000人しか収容しないスタジアムでもいいから、面白くて魅力的なスタジアムのアイディアを真剣に考えなければいけないし、ワールドカップに何度も出場できるようになった日本のサッカーだけど、まだまだ問題も多いと思っている。ただね、こんな辛口な僕から見ても、素晴らしいと思える日本人のサッカー選手は、たくさん登場してきたよ。