年上と一緒になってサッカーで遊んだからこそ、学べることも多かった
技術的に最も優れていたのは、小野伸二だ。あれだけの素晴らしい技術を、いったいどこで身につけることができたのか、本当に不思議だよ。国内外問わず、彼の技術は誰もが認めるところだよね。小野とともに、技術的にすごかったのが松井大輔。日本人サッカー選手の中でも、特に魅せることができる選手だった。あとは中田英寿も才能があふれる選手だった。とにかく頭が良くてね。彼からは個人的に何度もサッカーに関する質問をされたし、イタリアでプレーしているときは、何度も招待をしてもらった。
僕はブラジルのサンパウロで、日系2世として生まれた。父親は貿易商をしていたけど、戦争で仕事がなくなって、その後は銀行員をやっていた。母は専業主婦。僕は5人兄弟で、母は1日中、子供の世話と家事で忙しそうにしていた。まだまだ女性が働くような時代ではなかったんだね。
サッカーは、遊びとして、気づいたら始めていたね。ただ、同級生だけでサッカーをやった記憶はないんだ。空き地で誰かがサッカーを始めると、そこに学校から帰ってきた子供たちが次々と参加して、さらに仕事から帰ってきた大人も入ってくる。日本では学年で区切ることが多いけど、年上と一緒になってサッカーで遊んだからこそ、学べることも多かった。先輩たちのテクニックを身をもって感じることができるし、体格が大きい先輩に対して、どうやって挑めば勝つことができるのか、必死に考えることにもなった。
あとは、ブラジルが世界中の民族が集まっている国ということもサッカーを成長させた大きな要素だったと思う。多民族で暮らしているとまとまりにくいっていうデメリットがあるけど、その反面、競争心が強くなる。とにかく負けたくないって、サッカーでも、みんなで競いあっていたんだ。
(つづく)
セルジオ越後(せるじお・えちご)
1945年7月28日生まれ。ブラジルサンパウロ出身。17歳のときにサンパウロの名門・コリンチャンスのジュニオール(ユース)に合格。72年には、日本サッカーリーグの藤和不動産サッカー部に入り、74年までプレー。引退後は、日本サッカー協会公認の『さわやかサッカー教室』を開き、サッカーの普及に尽力した。現在はサッカー解説者として活躍中。