江戸時代、文化元年(1804年)に創業し、現在に至るまで酢のトップメーカーとしてあり続けてきたミツカン。酢以外にも「味ぽん」や「カンタン酢」、納豆の「金のつぶ」シリーズなどの大ヒット商品を開発し、近年では体験型博物館の「MIZKAN MUSEUM(ミム)」を運営している。2021年、そのミツカンの社長((株)Mizkan Holdingsの社長)に中埜裕子さんが就任した。今回はミツカン初の女性経営者として注目される中埜裕子さんと会社、それぞれの転機について、これまでとこれからについて聞いてみた。【第2回/全3回】

東日本で普及しなかった味ぽん
ミツカンの看板商品といえる「味ぽん」が発売されたのは1964年。今では誰もが知るロングセラーでありベストセラー商品である。しかし、そんな味ぽんも発売してからしばらくは、全国的な知名度が低かった。
「もともとは祖父(七代目の中埜政一さん)が博多で水炊きを食べたときに、一緒に出てきたぽん酢が気に入って商品化したんです。うちの強みである酢をベースにするので、生産的にも効率がいいと判断したんです。ただ、お鍋料理は関西ではぽん酢をつけて食べるのに対して、関東では味付け鍋が主流で、マーケット自体が小さかったんです。
そこに潜在的なニーズがあったとしても、それを育てるのはとても難しいですし、家庭料理は外食と違って保守的なところがあるので、最初はすごく苦戦しました」
そこからどうやって普及させたんですか?
「関東では味をつけた鍋が主流だったので、まずはおいしさを知ってもらおうと屋台カーに鍋を乗せて築地に行き、働いている皆さんに試食してもらいました。そのおかげでなんとか関東でも売れ始めたのですが、一番、弾みになったのは鍋以外の活用法でした。
実は九州や四国など一部のエリアで鍋以外のいろいろなものに味ぽんを使っていると聞いて、直接、お客様のところに行って、なにに使っているのかうかがったんです。そうしたら焼き魚や焼き肉、餃子に使っていることがわかりまして、それをテレビCMで提案するようにしたんです。お客様の声を聞いてメニューを提案し、需要を作っていくという流れで販売を広げていったんです」
一方的に商品を作って売るだけでなく、顧客を第一に考える。「買う身になって まごころこめて よい品を」はミツカンの企業理念だが、味ぽんはその理念によって成功した商品なのだ。