モチベーションはあまり高く​なかった若い時代

 生粋の“酢エリート”として育った中埜さんは、大学卒業後、1999年にミツカンに入社。その後、監査役を務めた時代に、大きな転機があったという。

「監査役の頃にちょっとモチベーションはあまり高くなかった時期があったんです。その頃、もう亡くなられましたが、社外顧問を務めていただいていたとある大学の教授が、年に1回やっている会社のプレゼンテーションイベントにいらして、そこで叱責されたんです。みんなのいる前で、“そんなたるんでいる状態じゃ、どんな仕事だってできない!”って、ものすごく怒鳴られたんです。それを聞いて、目が覚めました。私はどうしても自分の嫌なことを避けるところがあったんですけど、苦手なものだからこそちゃんと取り組まないといけないなと、考え方を切り替えました。その後に、招鶴亭文庫での資産整理の業務に取り組むことになるんです」

 招鶴亭文庫とは、愛知県の知多半島にあるミツカンの敷地内にある施設。ミツカン創業家である中埜家が代々、残してきた酢づくりに関する帳簿や書状が、歴史的資料として保管されている。その所蔵品の整理に、中埜さんが駆り出されたのだ。

一般財団法人 招鶴亭文庫: https://shoukakutei.or.jp/

「父(八代目の中埜和英さん)の社長就任に合わせて、散らばっていた会社の文書をまとめようということになったんです。ただ、江戸時代から続いてきたものですし、なにがどこにしまわれているのかわからない状態で、広い敷地の中を冒険するような感覚でした。思いがけない土蔵の中から文書がたくさん出てきたり、かなりな肉体労働でしたが、嫌なことでも我慢強く続ける忍耐力はつきました。
 あとは過去の帳簿を見ることで、ミツカンがこれまで会社や家の資産をうまく活かして成長してきたことがはっきりわかりました。これは大きな学びでした」

発酵が持つサステナビリティ

 ミツカンはもともとお酒づくりから生じた酒粕を原料にお酢をつくるという挑戦から事業が始まりました。現在も納豆のシリーズの開発に力を入れています。発酵は重要なキーワードなのでしょうか?

「発酵食品は今後も伸ばしていきたいと考えています。医学的な分析がされるはるか昔から作られ、食べられてきたということは、直感的に人間にいいものなのだと思うんです。今は科学的なエビデンスはありますが、まだ解明されていないこともたくさんあります。もちろん、おいしいという点も素晴らしいと思いますが、これはすごい強みだと思います。
 招鶴亭の資料にもありますが、もともとはお米を作って、農閑期にそのお米でお酒を作って、その酒粕でお酢を作っていました。ひとつのエコシステムになっているうえに、農閑期に雇用が創出できるという意味でも、サステナブルな要素がたくさんあったんです。ミツカンはサステナブルという言葉ができる以前から、自然の恵みをいただきながら、それをいかに次の世代につなげていくかということをすごく意識していました」

 監査役時代に受けた叱責、その後の招鶴亭での文書整理、この2つから得た気づきは、経営者としての中埜さんにとって、大きかったようだ。

中埜裕子(なかのゆうこ)
1976年愛知県生まれ。(株)Mizkan Holdings代表取締役社長。江戸時代から続く「ミツカン」の創業家に生まれ、成蹊大学法学部を卒業後、99年に(株)ミツカングループ本社(当時)に入社。16年に(株)Mizkan Holdings専務取締役となり、21年に創業以来初となる女性経営者となり、注目を集める。

ミツカングローバルサイト:https://www.mizkanholdings.com/ja/