今は今の戦い方をしているんだと思います

「あの頃は生活がかかってましたから。にっちもさっちもいかなくて、お笑いをこの先何年続けられるかわからない状況だった。今はいくらそう思おうとしてもほかの仕事がいっぱいあって、そういう気持ちでは臨めないですよね。むしろ、当時臨みたかったようなマインドに近いのかもしれません。思いが強ければいいってもんでもなくて、昔はその分やっぱり緊張もしました。今は周りがそうなっていても、自分たちは力を緩めて臨める。今は今の戦い方をしているんだと思います」

 お笑い界における岩崎の立ち位置が稀有なのは、自身がこれほど賞レースを現役で戦いながら、同時に審査する側も担っている点だ。この数年、『ABCお笑いグランプリ』(朝日放送)や『UNDER5 AWARD』といった若手の登竜門となる賞レースで審査員を務めている。

 自分自身がまだまだネタを作り続けている芸人が、審査員を務めるのは困難を伴う。「偉そうに言ってるけど、自分のネタはどうなんだ?」という視線がついて回るからだ。さして得のない役割だけに忌避する人も少なくない。だが岩崎は「“お笑いに恩返しができてるな”って気持ちになれるから、嬉しいことだなと思いますね」とそこに喜びを見出している。

 もとを辿れば、岩崎が“審査員”を担うようになった端緒は2020年に『しくじり先生 俺みたいになるな!!』(テレビ朝日)で放送された「キングオブう大」なる企画にある。その年の『キングオブコント』準決勝で敗退した5組がネタを披露し、岩崎ひとりだけが審査員として採点・講評するという試みで、大きな反響を呼んだ。これ以降、“審査員キャラ”がついたと自伝『難しすぎる世界が僕を鬼才と呼ぶ』ではつづっている。決して王道ではない笑いを追求し、テレビバラエティにもなじめなかったキャラクターが、ここに来て“重み”へと転換されたわけだ。

「多分、お笑いに身を捧げているところが自分の雰囲気になっていて、それが年を取って説得力が増してきたんでしょうね。“この人はファッションで変なものを好きだと言ってるんじゃなくて、本当に好きなんだな”ってみんなから認めてもらえるようになった。滝に打たれ始めて1年目の人より、10年やってる人の言葉のほうが信用度はあるじゃないですか。“本気だったんですね”と、信じてもらえたんだと思います」

(つづく)

岩崎う大(いわさき・うだい)
​1978年9月18日生まれ。東京都出身。幼少期を湘南で過ごしたあと、西東京市で暮らす。中学3年生から高校までオーストラリアへ移住。高校卒業後、帰国子女として早稲田大学政治経済学部政治学科入学。大学でお笑いサークル「WAGE」に参加、在学中の2001年にプロデビュー。2005年までWAGEとして活動したあと、2006年に槙尾ユウスケと「劇団イワサキマキヲ」を結成。2010年にコンビ名を「かもめんたる」に改名。その後『キングオブコント2013』で優勝。2015年には「劇団かもめんたる」を旗揚げ。2020年と2021年に2年連続で岸田國士戯曲賞に最終ノミネート。現在も芸人、劇作家、脚本家、演出家、漫画家など、多岐にわたり活動中。

■インフォメーション
『かもめんたる岩崎う大のお笑いクロニクル 難しすぎる世界が僕を鬼才と呼ぶ』
著:岩崎う大/発行:扶桑社
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