1970年代から俳優として活躍。映画『遠雷』で日本アカデミー賞主演女優賞。その後『釣りバカ日誌シリーズ』や、様々なドラマに出演。1993年に発行された写真集『罪』は大きな話題となった。それぞれの時代にインパクトを残してきた石田えりさんが今回挑むのは「松山ホステス殺人事件」で指名手配された福田和子を描いた映画『私の見た世界』。福田を演じるとともに、長編映画としては初の監督にも挑んだ。作品に向き合う日々の思いを飾ることのない言葉でまっすぐに語ってくださった。【第3回/全3回】

『私の見た世界』で長編映画初監督に挑む石田えりさん。これまでのキャリアを振り返り、「CHANGE」となったのはどの瞬間だったのだろう。
「今回、それを聞きたいって話を聞いて、その時からパッと頭に浮かんだことがあるんですね。でも、ちょっと言い難い。超言いにくいんです。それを今話し始めただけで、心臓がバクバクしてきます。だけど、思いついちゃったのに、それとは違うことを言うっていうのは違うと思うので、だから言いますけど…」
と一瞬息を整え、そこから勢いよく語ってくださった。
「私、これはもう終わったなっていうことがあったんですよ。もう終わった、完全に終わった。道歩いてくこともできない。道歩けないんだったら死んだ方がマシっていうぐらいの大きいショックがあって、なんでこんなことが私の人生に起きるの?って。でも、薄々そのうち来るだろうなってわかってたことでもあって。それがついに来たっていうときだったんですよ。来た。来たかよ、みたいな。どうしようと思ってたんですけど、それは私がこういう仕事をしてるからこそ、起きたことで、どうやって乗り切るか、というのを考えたら、同じ土壌で乗り切っていくしかないな、という結論になったんです。私がこういう仕事してるからこういう悪いことが起きるわけだから、仕事で返さなきゃ、って」