演出家として、ミュージカル、ストレートプレイ、オペラ、歌舞伎などジャンルを問わず幅広く作品を手掛ける宮本亞門。その「THE CHANGE」には大切な母との別れがあったーー。【第2回/全2回】

アルバイトをしながら、舞台の出演者としての活動が始まりました。でも、僕が21歳のとき、人生の転機が訪れます。
パルコ劇場のミュージカルに出演できるようになって、その最終稽古を終えて下宿先に帰ると、玄関に母のサンダルがありました。母が来ているのだなって思って、「お母さん!」って声を掛けても、返事がない。母は僕の溜まった洗濯物をたたみながら、意識を失っていたんです。救急車を呼んで病院へ行ったのですが、すぐに亡くなってしまいました。脳溢血による突然の死でした。
母が亡くなったのが、朝の5時。あと数時間で、舞台初日の幕が上がります。大切な母が亡くなったとはいえ、舞台に穴を開けるわけにはいかない。母もそれは望んでいないはず……。
僕は劇場へ向かい、なんとか初日の公演をこなしました。母が亡くなったことは誰にも言えませんでしたが、母のためにとっておいた席にはバラの花を置きました。僕はその日、その席へ向けて、最大の愛情を持って、歌と踊りを演じたつもりです。
母が生前、「もしあなたが演出家になりたいなら、私が死んだときでも絶対に泣いたりしてはダメよ。どんなときでも全部を見るの。目を閉じてはダメ」と教わったのがずっと、脳裏に焼き付いていたんです。だから、その舞台のときでも納骨のときでも、すべてを目の中に入れて、僕は泣きませんでした。
生前の母はよく「ブロードウェイは世界中の人が集まるすごいところ」と話していたので、僕はその公演がすべて終わると、ブロードウェイに飛んでミュージカルを見にいくことにしました。本場のミュージカルにとても感激をしたのですが、宿に入って、ドアをしめて1人になると、急に泣けてきて。朝まで涙が止まらなくなったのを覚えています。