熊本出身の俳優・宮崎美子さんが、熊本県人吉市を流れる球磨川を舞台にした映画『囁きの河』に出演している。災害に見舞われた地元の人々の強さや、川との共生が描かれる本作への思いとは。また、ドラマ、映画、バラエティと幅広く活躍を続ける宮崎さんがキャリアの転機と感じている瞬間、そしてその後に感じたと戸惑いとは…。【第2回/全3回】

映画『囁きの河』に出演されている宮崎美子さん。1979年、熊本大学在学中に『週刊朝日』の篠山紀信さん撮影の表紙でデビューを飾った。その後、数々のドラマ、映画、そしてバラエティ番組にも出演。キャリアを振り返られたとき「CHANGE」といえる瞬間は? とうかがうと、一瞬考えられて「もしかしたら…」とある先輩俳優からの言葉について語ってくださった。
「学生のときに篠山紀信さんが撮影してくださった『週刊朝日』の表紙でデビューして、その後、当時TBSに今のNHKの朝ドラのお昼版のような『ポーラテレビ小説』という枠があったんですが、その『元気です!』(1980年10月~)という作品に出演させていただくことになったんです。
正直に言えば、俳優を一生続ける、という覚悟はなく、まだ学生で、プロダクションには入ってなかったので、全く何の後ろ盾もなく、“今しかできないことだからやってみよう”、ぐらいの感じだったんです。でも、そのドラマの撮影が終わる頃、だんだんと自分のあまりの出来なさ加減に何かちょっと悔しくなっちゃったんです。それでその作品でお母さん役をやってくださった河内桃子さんに、“あまりにもできなくて、ちょっと悔しくて。どうしようかなって迷ってるんです”という話をしたら、“だったら、もう少しおやりになってみれば”と、優しく声をかけてくださったんです。その“もう少しおやりになれば”で、ふっと気持ちが軽くなって、一生やっていかなきゃいけないと気負うこともないんだ、って思えたんです。それは大きな“CHANGE”だったなと思います。あのとき、河内さんにお話を聞いていただかなかったら、続けていたかどうか。そのドラマのプロデューサーも“ドラマ終わったら帰れ”っておっしゃってたから、“帰りま~す”みたいな感じだったので(笑)」