ミノルタ〈今の君はピカピカに光って〉のCMが大ヒット!
『週刊朝日』の表紙への応募は「プロの写真家の方に撮っていただくのもいいな」という思いだったという宮崎さん。その時点では、俳優の道は思い描いていなかったという。
「元々、声を出して本を読むというのは好きだったんです。でもそれは別に趣味の範囲ですよね。全身を使っての演技というのはまた全然違うものだし、それを人前で、ちゃんとお金もいただいてやるという、そういうことは学生の頃には考えていませんでした」
宮崎さんというと、1980年にオンエアされたミノルタ(現・コニカミノルタ)のCM<今の君はピカピカに光って>が印象深い。CMは大ヒットとなり、宮崎さんも全国のお茶の間に知られる存在となった。
「あれはサイパンでの撮影だったので、学生の春休みの旅行、みたいな気分で。本当に楽しかったという思い出なんですよね。あのCMって、何人かで一緒に行って、誰のものが流れるかわからないし、全く流れないかもしれないよ、という条件だったので、本当に気楽な感じだったんです」
それでも、大反響になって戸惑いはなかったのだろうか。
「今と違って、東京と地方の情報量ってだいぶ違ったんですよね。熊本には当時民放は2局しかなかったし、コマーシャルというのは、そんなには流れてない。だから、宣伝部の方から家の黒電話に“CMが東京でこんな評判になってるよ”って連絡があったんですけど、“あぁそうなんですか”って、ちょっと他人事のように捉えてたんですよね。それが、結果的には良かったのかな、と思っています」
どこか客観的に見ていたというCMの大ブレイク。その後、俳優として活躍の場を広げ、そしてもう一つの代名詞にもなる“クイズの女王”としての活躍も見せることになる。大橋巨泉さん司会の『クイズダービー』には1981年から出演。これが“クイズの宮崎美子”のスタートかと思ってうかがうと…。
「実は『クイズダービー』よりも前、学生のときに、一般視聴者として、『アップダウンクイズ』というクイズ番組に出たことがあるんですよ。1問答えるごとにゴンドラが上に上がっていくという番組。10問答えられると、<夢のハワイ旅行>が当たるという(笑)。ただ、ものすごくあがってしまって、うまくいかなかったですね。今もそうなんですけど、早押しというのが苦手で。駄目でした」
