「個人で分かり合える瞬間は生まれると感じました」

――英語を学んだこともひとつの学びではあったものの、自分自身と向き合えたことが大きかったですか?

「そのことのほうが、割合としては自分の中に残っています。僕は日本のことについて聞かれても、分かりませんでした。たとえば戦争や広島のことについて聞かれても分からなかった。一度、韓国の人から、“僕らはあなたの国の首相を知っているけれど、君は今の韓国の大統領が誰かわかる?”と話しかけられたんです。最初からケンカを吹っ掛けるような感じで」

――それは、完全に吹っ掛けている感じですね。

「そういう教育ですしね。でも実際に、僕は大統領が誰か知らなかった。それで“ごめん、知らない。知らなくて恥ずかしい”と素直に答えたんです。その後の数週間も、素直に彼と接していました。そしたら会わなくなる直前に、“お前みたいな日本人もいるんだな。俺が聞いていた日本人と、ちょっと違う”と言われて、自分にとってはいい時間になりました。国と国ではいろいろあると思いますが、個人で分かり合える瞬間は生まれると感じました」

――26歳くらいのときのことでしょうか。

「そうですね。もう20年くらい前になりますね。僕の最初の海外経験はアフリカのタンザニアなんです(1998『世界ウルルン滞在記』)。言葉も違うし文化も全然違うハザピ族の方々と交流して、心が通じた瞬間がたくさんあった経験をしていたので、“人種は関係ない”とはもともと思っていました。ニューヨークで、物質的には豊かな場所で、英語というツールを使って心を通わせるのはまた違ってくるとは思いましたが、彼がそう言ってくれて、また自信が持てる経験となりました」

吉沢悠 撮影/冨田望