「重荷だと思ったことが、いま武器になってる」どこまでも豪快に笑い飛ばす大きな背中がまぶしい
今回、刊行された『波乱を愛す』の中でも、自身の厳しい出来事や、追い込まれた出来事も赤裸々に書かれている。
「初監督だって、奥山さんにじゃんけんで負けて、“負けたらやれよ”って訳わかんない形でやらされて、余計なものを背負い込んじゃったなと思ったんだよね。だって当時は、(北野)武さんが監督やる前だから、役者が監督やると、映画の世界で監督を敵に回すんだよ。監督協会の70%の監督たちが飯を食えてないというのに、“なんで俳優が監督やんねん”って、声が出でくる。だからいままで呼んでくれた監督が、“小沢、監督やってるからもう使わねぇ”ってなるんだよね。それぐらい逆風。武さんが始めたことで、ちょっと空気も変わったけど、俺はその前だったから地獄。仕事は減るし。余計な物を背負い込んじまったな、って本当に思ったよ」

「でもさ、役者ってオファーが来るのをじっと待つしかないものだけど、俺は監督をやったことで、自分のやりたいものを作れるようになった。だから、重荷だと思ったことが、いま武器になってるんだよね。ただ、監督やったデメリットもある。前は役者として現場に入って、4~5時間待たされると、“これ何待ち?”、“説明してくれよ”とか言ったりしてたけど、監督やってるとき、12時間待たせたことあるからね(笑)。もうそれで、どの現場でも“何待ちだよ”とか言えない。“小沢組 に比べたら大したことないじゃないですか”って言われたら、終わりだからな(笑)。そういう文句が言えなくなったというデメリットはあるね(笑)」