チャップリンの映画との出合いから始まった、小沢仁志の俳優人生
小学校6年生のチャップリンの映画を見たときの思いを抱え続け、走り続けてきた。
「ハードなアクションで、24時間ずっと100人と戦ったりいろいろやってきたけど、そんなときにふと思うのは、チャップリンは当時、ワイヤーひとつで命をかけて笑わせてるんだよな、と。チャップリンは命をかけて笑いを届けた。俺は命をかけて、人にスリルを与えなきゃいけない。映画の質は違うけど、いい加減にやってたらチャップリンに笑われる、と思ってる」
かつて訪れた「富川国際ファンタスティック映画祭」での出来事の話になった。
「プチョン(韓国)の『富川国際ファンタスティック映画祭』で、映画プロデューサーのシンポジウムがあるっていうんで、呼ばれてないのに行ったんだよね(笑)。VHSを持って、国際部に書いてもらった英語の文章を持って乗り込んだの。ただ、飛び込みで行って片言英語でやってるんだけど、うまくいかないんだよね」

「そうしたら、そこに大林宣彦監督が参加してて、大林さんはもう巨匠じゃん。だから通訳が二人いるの。それで“僕は通訳一人いればいいから、君はあそこの彼の手伝いをしてくれ”って言って、その通訳さんを売り込みしてる俺のほうによこしてくれたんだよね。そのおかげで俺は、映画を配れてホッとしてたら、“小沢くんって言うんだね。よかったら食事、一緒にする?”って、大林さんから招待されて食事に行って」