「いろんなドラマや映画のオーディションに参加したんですけど、ことごとく落ちまくりました」
そうしたら、劇団(『劇男零心会』)の人からスカウトされたんです。入ってからは、1~2回公演をやった後に、いろんなドラマや映画のオーディションに参加したんですけど、ことごとく落ちまくりました。その中で唯一受かったのが『笑っていいとも!』でした。自分の中では、劇団に入ったんだから俳優を目指すぞ、みたいな気持ちだったんですけど、なぜか、アルタで歌って踊ってました(笑)」
その『笑っていいとも!』のスカウトをしたのは、80年代のフジテレビ・バラエティの中心にいたプロデューサー横澤彪さんだった。
「原宿で路上パフォーマンスをやっていたら、『オレたちひょうきん族』のプロデューサー、横澤さんがそれを見ていたんです。『笑ってる場合ですよ!』の後の番組で、番組のカバーボーイを探していると。路上でパフォーマンスしている人たちがいるという情報を仕入れた横澤さんが見てくださって、“オーディションがあるんだけど、来ないか?”って誘ってくださったので、行きます!ってことになりました。
でも今考えたら、そのパフォーマンス集団には柳葉敏郎さんも哀川翔さんもいらっしゃったんですよね。風見しんごさんもいました。その後、風見しんごさんは『週刊欽曜日』という萩本欽一さんの番組オーディションに受かりました。ちなみに僕も『週刊欽曜日』のオーディションは行ったんですけど落ちました(笑)。それで、ようやく受かったのが『いいとも!』だったんです。結局、『いいとも!』のオーディションは哀川翔さんも受けたんですよ」
