「山崎邦正」としてテレビのバラエティ番組で活躍していたヤマちゃんは、今、落語家「月亭方正」として活動を続け、その評価を高めている。落語の道を歩み出して17年。その転機となった瞬間は? 若手時代の苦悩とは? 芸人人生を振り返るその語り口は高座のように軽快だ。【第1回/全4回】

月亭方正 撮影/三浦龍司

 月亭方正(当時は山崎邦正)さんが、吉本興業の養成所「NSC(吉本総合芸能学院)」に入ったのは1987年。「目立ちたがり屋で前に出るのが好きで」という少年だったが、子どもの頃から吉本に入るぞ、という思いではなかったという。

「小学校の卒業文集に<将来の夢はスターになること>って書くぐらいの子で、目立ちたがり屋で前に出るのが好きな子ではあったんです。小学校でドリフターズ、中学で『(オレたち)ひょうきん族』に行って、(ビート)たけしさんに行って、そこからダウンタウンさんと王道のお笑い道を行くんですけど、成長するにつれて、僕なんて、ただの素人のおもろいやつで芸人とかそういうのは無理やなと思ってたんです。

 ただ、大学に行きたかったんですけど、浪人して、全部落ちて、どうしよう、ってなってたときに、当時付き合ってた彼女に“ほうちゃんお笑いやったら?”、“合ってると思う。天職やない?”と言われて、そのとき、天職という言葉も知らなくて(笑)。

 調べたら、天から与えられた職業ということで、ええ言葉やなって。その子とは6年間お付き合いさしていただきまして、大好きだったんですけど、その子がそう言うてくれるのなら、というのもあって、お笑いもええのかな、という感じになっていきましたね」