他の芸人は大ウケしているのに自分は盛り上げられなかったつらい経験

 そうなってきた頃、芸人としての立ち位置をまざまざと考えさせられる出来事があった。

「38~9(歳)の頃ですね。あるとき、営業が3本ぐらい続いたんですよ。僕の前に次長課長が出る。チュートリアルが出る。僕の後にブラックマヨネーズが出る、中川家が出る、みたいな営業で。みんな出ていったらワーっとウケて“お疲れ様でした!”って勢いよく帰る。

 僕は出ていって、最初はワーって盛り上がるんですけど、ちょっとしたらぷすぷすぷす……って感じで尻すぼみで。他の人はドカーンお疲れ様でした。俺は静かに帰る、みたいな。これがね、立て続け3回ぐらいあったんです。もうほんまにつらくて。情けなくて。

 さすがに3回続くと、ちょっと待てよと。後輩はちゃんと芸を見せて帰ってる。でも俺はなんやこれ。20年頑張ってきてテレビでみんな俺のこと知ってて、最初はワーッと盛り上がってくれるけど、それだけ。お客さんの前にして、何もやることがない。これ芸人ちゃうやろ、みたいな。芸人ちゃうっていうか、俺の目指してる芸人像ではないな、と思ったんですよね。

 このままダメ人間、いじられ芸でテレビでやっていても、おそらく後輩ができて、その人たちにいじられて飯は食っていけるんやろう。でも、俺の思ってた芸人像と全然違うし、人生これで行くの? という思いが来たんですよね。まさに不惑(40歳)を前に。これは変えなあかん、と」

 そのときに頭に浮かんだのはテレビではなく舞台。「ここからは舞台や。新喜劇や」と。さっそく新喜劇の座長を目指して準備に入った。

「すぐにでもやりたくて勉強やと。藤山寛美さんのDVDも全部見て。そのときの新喜劇の公演もDVDで見て。すごいな、面白いな、と思ったんですよね。ただ、新喜劇をやるといっても練習もできないし、準備もできない。だんだん“あれ?これなんか俺の性格に合うてないわ”って気づくんです。僕の性格はやりたいと思ったらすぐ動き出す、すぐやるという気質なので、これ、ちゃうな、と」