冷静なツッコミや自然体のコメントが愛され、「家電」や「ガンダム」、「ゴルフ」など、好きを深堀するスタイルが長くバラエティの現場で高く評価される芸人・土田晃之さん。このたび『僕たちが愛した昭和カルチャー回顧録』という自らの幼少期から青春までの様々なカルチャーを振り返る1冊を刊行した。昭和の「クレイジー」な力がいかに土田晃之を作り上げたかがわかる1冊だ。この本にまつわるトークをベースに、土田さん自身の芸人ヒストリーを重ねて聞いた。【第3回/全4回】

土田晃之 撮影/有坂政晴

 1991年にコンビ芸人「U-turn」として活動を開始。その後、ボキャブラブーム(フジテレビ系『ボキャブラ天国』のネタコーナーがヒット)の影響で若手芸人がアイドル的人気に。ネプチューンや爆笑問題、くりぃむしちゅー(当時・海砂利水魚)などがテレビの世界で活躍を見せるようになる。芸人としての歩みの中で「CHANGE」といえる出来事はどのタイミングになるのだろうか。

「“CHANGE”っていう意味では『銭形金太郎』(テレビ朝日系)かなと思いますね。『ボキャブラ』があって、そこでちょっとした若手お笑いブームがあって、それをきっかけに爆笑(問題)さんとネプチューンが売れて抜けていくんです。でも、そこを抜けれなかった人たちは、ブームが過ぎると沈むじゃないですか。次のお笑い番組を始めるときにも新しい子たちを求めるからボキャブラ芸人は呼ばれなかったりするんですよね。その時期は、くりぃむしちゅーとか、東MAX(take2・東貴博)とかと一緒に過ごしつつ、ちょこちょこ頑張ってなんとかテレビに出れるようになって5年ぐらい。相方が辞めるっていうこともあって、関東の番組のレギュラーが1個もなくなったんですよ」