呼ばれる可能性のある2つの番組を録画して見まくった

「地方局のレギュラーが2本あって、何とかそれで子ども2人を養わないといけない、という感じ。その頃、日テレで『所さんの日本ジツワ銀行』という番組と、テレ朝の『銭形金太郎』があって、今俺が呼ばれるとするならこの2つの番組しかないだろうなと思って、その両方とも毎週録画して見まくったんです。
 『所さん~』のほうは中川家とか、ますだおかだとか出てて、『銭金』はずっと一緒だったネプ(チューン)とかくりぃむ(しちゅー)とか東MAXとか、初期は(雨上がり決死隊の)蛍原さん、伊集院(光)さんとか原口(あきまさ)とか、あとは『王様のブランチ』の女性リポーターも出てましたね。その女性リポーターを見ながら、“絶対俺のほうが”、と思ったりしてたんですけど、番組が始まって3か月ぐらい経ったときに、『銭金』に呼ばれたんですよ。ここで勝負しなかったら、もう終わるなと思って、ロケに行きました。
 中野に住んでるサイトウさんって方の家に行って、雨が降る中のロケだったんですけど、終わったときにあんまり手応えがなくて、あぁ駄目だったなと思ってたんですよね。でも、後日、スタジオ収録のときにそのロケのV(VTR)を見たら、ディレクターさんが優秀だったんだと思うんですけど、めちゃめちゃ面白いVになってて、すごくウケてたんです。良かった~と思って楽屋に帰ったら、総合演出の方が来て、“次回スペシャルがあるんでお願いします”って言われて、繋がった~、って。そこからはもう、ランボーがサバイバルナイフ1本で敵を倒していくように、他のリポーターの仕事を奪い取っていくっていう作業ですよね(笑)。気がついたらくりぃむしちゅーと俺と東MAXの4人がレギュラーメンバーみたいな形になっていきました」

 『銭金』といえばこのメンバーだが、土田さんは後から食い込んだ。

「この4人のメンバーだったのも良かったですよね。当時僕は一番下っ端だったけど、10代の頃から一緒にやってた人たちだから楽しかったし、切磋琢磨できたなと思います」

 そして、この『銭金』をきっかけに、バラエティ番組への出演が増えていく。