“最後のステージ”を担当した演出家に「アメリカに来て映画製作の現場を見たらいい」

 活動休止が決まったのは、24歳のとき。失意のどん底にありながらも、一方で希望を失わずに済んだわけとは?

「僕らが多感な時期、映画も音楽もアメリカの作品の影響がすごく大きくて、とくに僕はアメリカのカルチャーにすごく刺激をもらっていました。だからアメリカのムービースター……、リチャード・ギアやアル・パチーノ、スーザン・サランドンといった方々は、僕にとって憧れの、雲の上の存在。そうしたスーパースターとブロードウェイで舞台をつくり上げていたのが、演出家のロバート・アラン・アッカーマンさんでした。世界の俳優陣から絶大な信頼を集めていた人です。
 幸運にも、男闘呼組の最後のステージである『スラブ・ボーイズ』を、そのアッカーマンさんが手がけてくださったんですよ。それを初めて聞いたときはものすごく興奮しましたね。ただ、舞台の稽古中に男闘呼組が活動休止の話が出て、僕は事務所を離れることが決まりました。
 アッカーマンさんはそうした事情を全部知ったうえで、“(舞台が終わって活動休止になったら)この先、どうするんだい? せっかくならアメリカに来て、語学や映画製作の現場を見たらいい”と声をかけてくださったんです」