ヌード写真集の話は拒否したが…

「映画『愛しのハーフ・ムーン』(87年)で、際どい濡れ場をやらされたんですよね。まぁ、それはよかったんですけど、その後に写真集で脱ぐって話になって“無理です”って拒否して……結局、辞めることになったんです。それから干されたみたいになって。それが23歳。地獄の日々でした。
 しばらくゲストに呼ばれることはあっても、レギュラーの仕事は得られない。どうしたら認めてもらえるんだろう……みたいなことばっかり考えていました」

ーーまるで自分の存在が否定されたような思いに、なりますよね。

「そんなとき兄が飼っていたゴールデンレトリバーのアトムを預かることになったんです。アトムは楽しいときはものすごく楽しそうにするし、悲しいときは悲しそうにして、ほんとに自分らしく、ありのままで生きていたんですよね。
 そんな姿を見て、私って自分軸じゃなくて他人軸で生きてたんだな。だから、生きてる実感がなかったんだって気づいたんです。自分の好きな服を着て、髪も好きな感じにしようって。そのタイミングで、名前も「伊藤麻衣子」から「いとうまい子」に変えたんです」

ーー大きな転機になったんですね。10年には早稲田大学に入学しましたが、その前の年に結婚。結婚と進学は関係あるんですか?

「それはほとんど関係ないですね。結婚する前、30歳で自分軸の生活になってから、ほんのささいなことでも感謝の気持ちを抱くようになったんです。それで、何か世の中に恩返ししたいなって思うようになりました。特定の誰かでなく。
 主人は応援してくれましたが、決断は自分です」

ーー今春からは、大学の教授も務めていますね。

「学長から、誰も教えたことのないことを教えてほしいと言われたんです」

ーー難しそうですね。

「私はつらい過去の経験から、自分自身を取り戻していけたので、そのスキルを教えてはどうかと学長に伝えたら、「ぜひ」とおっしゃってくれて。それで週一の講義をしています」